最近、とてもかっこいいアクセサリー的なジュエリーを目にするようになった。
若手の制作者で、造形力とか、表現力、またウェブサイトも本当にきれい。
なかなか素敵である。
けっこう売れているらしい。
正直、ハイジュエリーといわれる世界のジュエリーのデザインは、最先端のデザインとは言いがたいかもしれない。
一部特例はあるけれど、石の価値や、技術を競うために、結構保守的になっているような気もする。
確かに、真ん中に石があり、周りをぐるっと一周ダイヤモンドが取巻くリングなんていうのは、基本中の基本で、実は品格高くきちんとつくるのはかなり高度な技術である。
そして、ハイレベルの仕上げも要求されるし、もちろん石が外れた、壊れたなんてことはまず許されない。
そういう意味では、王道のジュエリーも素晴らしい。
けれど、前者のかっこいいアクセサリー的なジュエリーもハイジュエリーといわれる方向性のジュエリーとも、別の道を行きたいと思っています。
「ジュエリーをデザインし、つくることによって、何を伝えたいか」
そういう、土台があるかどうか、仕事というのはそういうものかと思う?
デザインとして、カッコいいから、この造形が何となくいいから。
たしかに、ウェブサイトには、なかなかいい言葉が連なっている。
けれど、そこから、社会の何を変えたいんだろうか?
アーティストは自分から湧き出たものを表現する。
けれど、デザインというのであれば、きっとそれはどこかに社会の問題を解決していくという心意気が欲しい。
今起きている、社会の問題に耳を傾けよう、投票にも行こう、歴史を知ろう、その他諸々。
制作する以外の、もっと広い世界につながってみよう。
たぶん、私が最近のモノづくりをする人たちに、感じている、「なんか違う」とモヤモヤしているのはそういうことなのかもしれません。
とはいえ、20-30代でそれを求めるのは難しいのだろうか?
でも、最後に残っていく人たちは、そういう人たちだと感じています。
私も頑張らねば!
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