文化財を残すということ – トーハクの所蔵品

先日、「縄文1万年の美の鼓動」と考古展示室で開催されていた「日本の考古(盛装女子)」に東京国立博物館(トーハク)へ行ってきたことを書きましたが、

縄文の装身具から、考えるジュエリーの本来の意味

家で、本棚を見ると「東京国立博物館名品図録」という昭和47年に発刊された本がありました。

創立100周年記念と書いてあります。

本をめくってみると、わたしたちが子供の頃から教科書で見ている名品の数々。

これも、あれも、それもみなトーハクの所蔵品だったということがわかって、正直驚いています。

博物館の意義と言うことについて、あまり考えたことがなかったのですが、これはいやいや、なかなかですね。

どういう経緯でトーハクに所蔵されるようになったかを知りたいという気持ちと同時に、

この文化財を時代を越えて、地道に守ってきた人たちの努力や根性みたいなものに、頭が下がる思いです。

古書や美術や文化財を守って行くということは、価値感がめまぐるしく変わる今の時代とは違った、長い長いスパンでの価値の継承ということが必要だと思います。

昨年、北京と台北にある故宮博物館について書いた、野島剛さん著の「故宮物語」を読みました。

「故宮物語 政治の縮図、文化の象徴を語る90話」とサブタイトルにあるように、北京にある故宮博物館と台北にある故宮博物館の所蔵品の解説と、その歴史のバックグラウンドを90話にまとめた、かなり充実した本です。

今の中華民国の国民党が、台湾に逃れる際にどのように、文物(文化財)が持ち出されたか、そして2012年に日本のトーハクで開かれた、二つの故宮の展覧会。

文物が、いかに政治的に利用されたか、そんな文化財の紆余曲折の物語を読むと、なんともドラマチックです。

人のつくりあげた「モノ」を、経済優先の価値基準ではない、長い人間の歴史を考えて所蔵されてきた数々のモノ。

ただそこに置いてある、ということだけで、わたしたちに博物館の収蔵品は語りかける。

残された文化財から学び、今、何をつくるかという課題は、とても重いと、街の宝石屋のおばちゃんは思うのです。

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