過去を知ることは、実は未来を見ること

今、ちょっときっかけがあって相当数の本の整理をしている。

もちろん私の本ではないものが大部分なのですが、整理しているとこんな明治時代の本なんかがでてくる。

その時代の人も、この同じ本を開いていたと思うと感慨深い。その人たちはもういない。

この「国史大系」は明治30年ごろから発刊されたもので、日本書紀、古事記などから始まって、日本史を研究する上での基礎史料たる古典籍を集成し、校訂を加えて刊行した叢書である。」(ウィキペディア)という。

第3次:新訂増補国史大系は昭和4年から昭和39年までの歳月をかけて、この国史大系編纂事業は66冊をだしている。

私はまったく読めないけれど、日本の歴史が文字となって伝わってきた重みを、この本の重さ以上に感じます。

当時、この大事業は、おそらく命をかけるくらいの勢いで取り組くまれたに違いない。

 

人はなぜ、過去を書き残し、それを研究し、その思想を検証し直すようなことをするのだろう?

過去を知ることは、実は未来を見ることなのかも知れない。

自分たちとは何ぞや?という疑問をひも解く何かかもしれない。

今は、ITや科学技術が一番必要な学問とされているけれど、それは経済活動を中心に物事を考えるからだ。

生身の人間としての、心やルーツや考えを中心に考えると、歴史や哲学などの人文学系の学問を大切にしていくことが、実はとても大切な気がする。

ips細胞や人口知能も悪くない。

様はバランスが大切。

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