縄文土器から感じる、モノが語る「生きる」というメッセージ

モノづくりが訴える圧倒的な力

縄文―1万年の美の鼓動

もうずっと、ずうっとモノ、モノづくりということについて考えています。

そういう意味では今回の展示は、かなり肝に落ちた感じがします。

昨日、国立博物館で開催されていた「縄文-1万年の美の鼓動」と考古展示室で開催されていた「日本の考古(盛装女子)」も一緒に見て来ました。

とにかく、火焔式土器、土偶、とにかくその生き生きとした生命力、生きる力っていうんでしょうか、そういう力強さをすじんと感じる展示でした。

縄文時代って紀元前11,000年~紀元前400年まであって(なんじゃ、この大雑把なくくりは!)、恐ろしく古代なのに、なんだかかえって、超未来的な気がします。

何より、粘土を人がこねて、文様を考えて、形をかんがえて造形していく。

という、モノづくりの、実に当たり前の、原点のようなものを感じます。

しかも、その、モノからはなんだかすごいエネルギーが出ている感じもします。

その中には、ひすいや貝、などの装飾品も多数あって、こんな昔からジュエリーはあったんだと、ジュエリーの仕事って言うのは、衣食住以外のもののなかで、相当重視されるべきものだったのだと言うことがわかります。

縄文―1万年の美の鼓動

洗練されていないかも知れないけれど、美しい

縄文―1万年の美の鼓動

確かに、すごく洗練されていとはいえないかも知れないけれど、今の世の中にあるものって、なんだかすべてがヴァーチャルで、洗練されすぎてて、生きる力みたいなもが、少々弱くなっていやしないだろうか。

そんなことを考えます。

以前、私の主宰するジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)で、建築家の伊東豊雄さんにお話を頂いたとき、「プリミティブな、動物的な感受性が必要だ」というお話をしていたのですが、本当にその通りだと思います。

古墳時代リング

その後、同時に開催していた「日本の考古(通史展示)」で古墳時代の埴輪などを見ていると、ここにもジュエリー、リングが。

ジュエリーの仕事は、最も古く、意味が深いのだと実感しました。

もう少し本来のジュエリーについて、私たちは考え直すところに来ている。

そう思うのです。

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