人間が人間らしくあるのは、不要不急なものがあるから

このコロナ感染の渦中、コンサートも映画も、観劇も、美術館や博物館もダメ。

お店も、食料品やドラックストアー以外はダメ。

となりました。

こうなって初めて、人は、不要不急なものに囲まれているから、人として生きていることができているのだということが、わかります。

まあ、私が営んでいる、ジュエリーなんてものは、不要不急の最たるものなので、3月から客足が止まって、今お店は休業しています。

私が、長年挑んできて、どうしても超えられない壁は、

「知ってもらうこと」

それは、すべての商売で、「知ってもらえること」ができさえすれば、まずは成功と言えるでしょう。

けれど、そこにやっぱりためらいと自信の無さがあって、

「知ってもらう」には、最終的に買う人や社会にとって有益でなければいけない。

果たして私たちがつくっているものは、有益なんだろうか。

人の人生を豊かにしているのだろうか。

社会に必要とされているのか?そういう気持ちが起こってきます。

それこそ「不要不急なものだし」

しかし、今のネット社会は、決して買い手がいいモノを探しやすくしたわけではない。

少数零細のものは、外に出にくい構造になっていると実感します。

「知ってもらう」努力はしながらも、

一方でそれに抗いつつ、日々仕事をしている。

コロナが過ぎ去った後、

「買い手はいいものが味わえるようになろう、そしていいものが売れる社会に変えていこう」

 

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