菅付雅信、伊東豊雄トークイベントで思うこと No.2

伊東豊雄さんの建築

前回、菅付雅信、伊東豊雄トークイベントで思うこと No.1を書き、主に菅付雅信さんの「物欲無き時代」について述べました。

菅付雅信、伊東豊雄トークイベント

今回は、ゲストだった伊東豊雄さんのお話。
http://real.tsite.jp/daikanyama/event/2016/11/post-227.html
伊東豊雄さんは、世界的な建築家です。詳しくはこちらを参照ください。
そんな方のトークイベントは、とても刺激的でした。いままで、深く建築というものに興味を抱いていたわけではありませんでした。
しかし、とてもジュエリーと建築は似ているところが多いと感じました。
建築は建てたものの中に人が住み、それを後世につないでいく。
一方でジュエリーは、身に着けることによって、やはり想いを後世につないでいく。
そんなところでしょうか。
伊東さんがお話していた中で印象的だったお話があったので、紹介しておきましょう。

ヨーロッパ社会が求めてきた「機能」という概念

「ヨーロッパ社会によって形成されてきた、<形式>や<知性>をこれからも建築が求め続けるか?現代建築の評価はその問いに対する答えが分かれ道になるような気がします。」
と著書で書いている件について。
つまり、日本やアジアでの建築は、人と人との結びつき自体が変っていて、ヨーロッパでは「機能と言う概念」で建築をしてきたのに、一方で日本は部屋を多目的に使えるように、しかもふすまなどは、開け放してしまえば壁がなくなってしまう。
ざこ寝や、家族一緒に寝るなどの生活様式が、西洋文化では否定されてきたけれど、果たしてそれがよかったのか?これからはどうして行くのが、今の社会に求められているのか?というようなことを話されていました。
もっと人と人が親密につながれる場所を、人は求めているのではないか?ということでした。

日本のジュエリーづくりのはじまり

この西洋文化と日本の文化的違いと、これからの時代を考え、ジュエリーに落とし込んだとき、同じようなことがいえるのではないでしょうか。
確かに、ジュエリーは西洋発のものだけれど、それ以前に、日本には簪(かんざし)や刀の鍔(つば)や装飾を手がける、金工の仕事をするアーティストともクラフトマンともいえる人たちが、大名の保護の下にいました。
彼らは、大名というパトロンを得て、その芸術性や技術を世界に類を見ないほどの域にまで洗練した仕事をしていました。
その人たちが、廃刀令後ジュエリーをつくりだしたという背景があるのです。
今、京都の清水三年坂美術館の村田さんが、海外に流出した作品を必死に買い戻しています。
時々展覧会をするのですが、そのアーティスティックな感性と技術には驚きます。

ジュエリーはヨーロッパのもの、しかし日本独自のものがつくれるはず

確かにヨーロッパのジュエリーは歴史があるでしょう。
しかし、今この時代だからこそ、日本の仕事や感性がジュエリーを自由に、身につける人を閉塞感から解放するような気がしています。
壁を仕切る建築がヨーロッパ社会のものであれば、日本はもっと解放的。
それと同じように、根底に日本の金工の仕事を持っている、日本のジュエリーが、建築と同じように社会に主張していく。
富としての象徴のジュエリーから、もっと人の「気持ち」をつなぐために、アートやクラフトマンの真摯な仕事に支えられていくジュエリーへ。
悲しい時も、うれしいときも、それを身につけて、想いをつないでいく
勇気を与えるという、社会的役割をジュエリーは担っているような気がしてならないのです。
最も無くても生きていける言われるジュエリー。
だからこそ、深い意味があるように思えてならない。
と、意味を求めて仕事をする日々です。

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