シンコーストゥディオ

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ひたむきに生きる人のために STORY BOOK ストーリーブック・人

平澤祐子さん

外資系臨床開発会社・総務部勤務

私は「ただの総務のおばちゃん。」
電球が切れた、郵便を配ってくれ、宅配便を受け取って・・・。 そんなこともしながら、一方で海外からの来客のアレンジや上司との対話、本国との調整などを英語でこなす。そこには「最強の総務のおばちゃん」がいました。

取材は、多摩川の河川敷のサッカー場からスタート。平澤さんは、息子さんのサッカーチームの副理事もなさっています。ほぼ、毎週試合があり、試合の観戦、その後の会議への参加と、お休みの日もハードな1日です。

米井日曜日もお弁当を作って、暑いなか応援大変ですね。

平澤お弁当は旦那が作ってくれます。とても協力的です。今、私は息子のサッカーチームで副理事をやっています。

米井サッカーチームの役職の仕事は大変ですか?

平澤施設の予約や学校との交渉などなど、出席しなければならないので想像以上に大変でした。

米井仕事との両立、体を大事にしてください。
ここで、今の仕事に至った経緯をお話いただいてもよろしいですか?

平澤大学を出て、日本の保険会社に一般事務職で入りました。ただ、普通の一般職です。特にキャリアのある仕事につきたかった訳でもなく。せいぜい27,8歳位までには結婚して、奥様になるんだろうなと思っていました。その保険会社に7年いました。

米井そこで転職なさったのですね?

平澤今も一般事務ですが、その後、特に目指したわけではなく、たまたま外資を紹介されて。外資系ソフトウェア会社に入って、総務を初めて経験しました。そこで総務の仕事をスタートしたのです。

米井そこから英語を使う仕事になったのですか?

平澤その時、若干英語は必要になっていましたが、英語は全然ダメで、最初は、外国人がいたら逃げ回っていました。2年目に合併、その後8年、トータル10年その会社にいました。

米井結構長くいらっしゃったのに、そのソフトウェア会社をお辞めになったのはどうしてですか?

平澤リストラにあったんです。それで、なかなか次が決まらず1年間無職生活。
そして、今の会社を紹介されてまた総務の仕事につきました。しかし、そこからが怒濤の英語生活。上司が外国人で、海外から人が来るとき、アレンジがすべて私に来ます。社内は日本人とは日本語ですが、上司は外国人なのでほぼ英語です。なんと本格的な英語の仕事生活は、40歳超えてからです。

米井遅いですね。大変だったのでは?勉強しましたか?

平澤勉強するヒマがないので、実践で覚えました。文章も会話もほぼ英語。メールは半分から3分の2くらい英語なのです。実は総務のような仕事をする人で、英語が出来る日本人がいなかったようです。40過ぎで転職。今の会社のスペックに合う人がいなかったので、採用されたようです。

米井驚きの経歴ですね。確かに、キャリアがあって「英語できる総務の人。」ってあまり聞かないですね。

平澤いえいえ、「普通に総務のおばさんです」それが英語を使っているだけです。

米井総務の仕事で大変なことって、どんなことでしょう?

平澤本国と日本の調整が難しいです。グローバルのスタンダードと日本のやり方が違って、その調整が大変です。向こう側とこっち側、軋轢が生じないように上手く調整しなければなりません。
でも一方で、地味に郵便を配ったり、宅配便が来たら受け取ったり。蛍光灯が切れたら、ビルの管理に連絡したり、そんなことも日々の大切な仕事なんです。

米井平澤さんのお勤めになっている会社の主な業務はなんでしょうか?

平澤外資系の臨床開発会社です。国内外の製薬会社から治験を任されていたりしています。39ヶ国にオフィスを構え7800人を超える従業員を擁するグローバル企業です。

米井少々、プライベートの方を少しお聞きしてもよろしいですか?いままで随分と長く、切れ目なくお仕事をされてきたようですが?

平澤はい、4年制大学を出てから、育児休暇とリストラで休んだ1年以外はずっと働いてきました。結婚、出産は38歳と遅い方でした。

米井途中でやめようと思わなかったのですか?

平澤いつもやめようと思ってます。常に思ってます。今でも日々思っていますよ。
むしろ、結婚した38歳まで働き続けてしまうと、仕事をするということが生活の一部なので、辞める選択肢がなかったのです。いつも、大変になったら辞めようと思っていました。
結局、出産後も保育園も決まったし、主人も協力的だったし、やめる理由がなかったんです。

米井いいですね。軽い感じで。肩に力が入っていなくて。

平澤本当に何も背負っていませんから。そんなに、強力に働き続けようなどと、考えていたわけでもなく、何となく流れで。

米井それでも、お子さんが小さい時は、熱を出したりして大変でしたよね。

平澤でも、そういう時ってかえって辞めようと思わないですね。
辞めるのも面倒。
辞めようって考える暇もなかった。あまりにもいつも辞めようと考えていたけれど、いざ辞めるとすると結構エネルギーが必要なんですね。
朝は主人が送ってくれて、6:30くらいには家に帰って来ていたので、なんとなく出来ちゃったんです。体力がないのが辛かったけど、そのくらいでしょうか。

米井お子さんは現在5年生10歳ですね。

平澤生まれて最初の一年間大変だったような気がします。
10年前だと忘れていますね。子どもが熱を出したことも、忘れます。ただ、主人我が協力的です。考え方が新しい。彼にとっては家事することは普通のことでした。お母さんも働いている家庭に育ったから。本当に家事は良くやってくれます。ご飯作るのが好きで、私がサッカーの役員の仕事でぐったりしていると作ってくれる。息子のお弁当も作ってくれたりします。

米井ご主人の帰りは遅いのですか?

平澤夜10:00くらいでしょうか、早くはないですね。朝はご主人、夜は私。何となく分担してきました。

米井なにか、平澤さんって、心が強いんですね。大変なこととか、つらいことを、ひょいと乗り越えてしまう。

平澤あまり気にしないんです。あんまり細かいことを気にしない。
子どもは保育園でよかったと思います。幼稚園は午前中だけやって、お母さんとお付き合いして、午後は子どもとずーっといる。私にとっては、かえって大変に感じます。

米井専業主婦になろうと思ったことはないですか?

平澤やったことがなかったので、想像できなかった。38歳まで結婚できなかったのが、すべてかもしれません(笑)。20年近く働いてきて、もう働くというライフスタイルが確立しちゃって、それを変えるほうが難しかった。すべての理由は、晩婚だったことかも。
だって、自分のお金を好きに使える生活をしていたのに、急に人のお金で生活しろと言われても、そちらの方が大変ですよね。

米井リストラという経験をしていますね?

平澤リストラ後、このチャンスを逃したら、就職する機会はもうやってこないだろうと思い、最後に一回だけ正社員をやろうと思いました。職探しで1年間。

米井その1年はきつかったですか?

平澤お金がもらえないのってきびしいなと実感しました。
また、その歳で求められる、スペックは高いという事実をつきつけられました。
「総務のおばさんって楽でいいんだけど、この先働くのであれば、ある程度プロフェッショナルであることを求められる。この歳で楽な総務のおばさんって無理なんだなあ」ということに気づいたのです。
何となく、流れで働いてきたので、心の中で葛藤がありました。最就職しようとしたら、マネージャー職などで部下がいる重責。我が家の中に大黒柱2人はいらないだろう、と考えていましたので、少々躊躇しました。 私は片手間でいいやって思っていた。
でも40歳代で片手間の仕事ってないんだということに気づいたんです。
38歳までは、本当に楽だったと思います。子どもが一人増えただけ、主人も協力的だった。その頃は仕事に対して、なんの疑問を持っていなかったんです。

米井今はどうですか?仕事に関しては疑問をもっていますか?

平澤こんなに働いているお母さんって、同世代にやっぱりあまりまだいないのです。そんなにがっつり、フルタイムで働いている人がいない。働いていても子供いる人、結婚している人は少ないですね。一世代下だと、かなり増えていると思います。
私が就職した頃の時代がまだ、そういう時代だったのだと思います。28歳位までに結婚して、専業主婦になる。働き続けている人で同級生や、子どもがいる人は少ないですね。

米井それでも働き続けたのはどうしてですか?

平澤会社員で普通に働く。けっこういないなあ?と思うことがあります。
専業主婦も大変だと思うのです。そうじゃないですか?肉体的には少し楽かもしれないけれど、精神的には大変ではないかと?

米井現在、仕事をしていて一番大変なことはなんですか?

平澤英語です。
上司と話していて「何この人話しているんだろう?」と思う時があります。だからこちらから「あなたが言いたいことは、これとこれとこれ?ですか?」って聞くようにしています。そうすると、「違う、違う。」って困った顔してますけど(笑)。
英語って尊敬語がないといわれているけれど、がっつりあります。ヨーロッパ系の会社なので結構、婉曲表現を使うことが多いのです。丁寧に書こうと思うと、自分が何が言いたいかわからなくなってしまうので、その辺が難しい。向こうからのメールも、かなり婉曲的に書いてくることがあって、いったい何をいいたいいのかわからない時があります。

米井日々、チャレンジですね。

平澤私、そんなに無理してチャレンジはしません。でも、それが日々の仕事なんです。ひたすら、こなしています。他の国の人たちの同じポジションの方々はとてもアグレッシブですね。でも私はアジアの中でも目立たないようにしている。

米井でも海外とのやり取りは、やりがいがあるのではないですか?

平澤海外の同じ仕事の人とやりあったりするのは楽しいです。シリアとか、絶対自分が仕事についていなかったら、コンタクトを取ることはないだろうという国と、コンタクトをとって仕事をする。
別に仕事に野心、活躍するという気持ちはなかったけれど、「普通の総務のおばちゃんより、ちょっと面白い仕事かなあ」と思います。でも、基本は総務のおばちゃんです。
米井: 「基本総務のおばちゃん!」そのスタンスいいなあ。いいですねえ。

米井ジュエリーを着けるときはどういう時ですか?

平澤普段、家では一切ジュエリーは着けません。外に出て行くときに着けていく。社会に出て行くときに、着けるものでしょうか。

米井今、着けていただいているリングも、うちでオーダーでつくったものですよね。

平澤いつもシンコーストゥディオでつくったものをずっと着けています。このリングはいいですよ。
まず、大切なのは着け心地。
指に当たる部分が滑らかでなければいけない。ボリューム感と厚さがある程度欲しい。でも装着感が悪いものは嫌。一方で中心のダイヤもなるべく大きいのを入れたい。と色々な欲張りな希望のせめぎ合い。その結果出来上がったのがこのリングなんです。

米井そのリングは鍛造(たんぞう)と言って、地金を強く締めて、その後削り出していく製作方法です。そうすると、金の構造がしまって、硬い地金になり、強いリングができます。更に磨きもきれいに上がります。

平澤あまり違和感のあるものは好きではないのです。仕事中ずっとしているので、自然体のものがいい。普段会社で着けていると、「どこのブランドですか?」と聞かれます。

米井最初にお店に来た時っていつでしたか?

平澤リストラ中でした。リストラ中やることが無いし、時間が余っていて、今まで出来なかったことをしようと思ったんです。息子が5歳くらいの時です。まず、ジュエリーの修理をしてくれるところを探しました。インターネットで検索したら、最初青山など、がヒットしたけれど高くて。それで、シンコーストゥディオのページにたどりついたのです。修理は、お手軽な値段でやってくれました。それから、ペンダントなどのつくり直しのカスタム・リフォーム、リングへ移って行きました。
その後仕事が決まって、今の会社で働き始めました。

米井ジュエリーを選ぶ基準って何ですか?

平澤まず、着け心地が良いものを選びます。考えてみるとジュエリーは社会に出ていく時の、オンのスイッチでしょうか?ジュエリーは家に帰ってくるとすべてはずします。オンとオフの切り替えがジュエリーなのかもしれません。

米井ご実家はどういうご家庭でしたか?

平澤ごく普通の一般家庭。母は専業主婦でした。先ほどから言っているように晩婚だったから選択肢がなかった。

米井平澤さんの会社でのお仕事を聞いていると、いくつからでもキャリアをつめる、新しいことに自然体で挑戦できる。そんな感じがします。
英語が出来ないけれど、やっちゃう。ポジティブシンキング。

平澤いえ、ある意味ネガティブなんです。辞めちゃったらどうなるんだろう?これから息子の学費がかかるし、老後だって・・・などなど、辞めたときのマイナスの方が大きく、不安がつのり、結局仕事を続けているのかもしれません。

米井最近、私は感じるんですがその人、その人の道のようなものがあって、それはある程度しょうがない、あらがえない。ただその中でいかにやっていくか、そんなものじゃないかって思うんです。

平澤米井さんも積極的に「店やるぜ!」というより気づいたらそこにいた。という感じですよね?私も同じ感じで、野心を持つとか、仕事でキャリア積もう!という感じではなかったんです。

米井そうですね。私も父がやっていた商売を引き継いだ、何となく始めてしまったという部分が大きいです。「肩に力が入っている」生き方は疲れちゃうなという気がしてきました。ただ最近、利害を超えて協力してくれる人、支持してくれるお客様方が現れてくれたので、こうやって、お蔭様でやっている感じです。こういう方々は決して裏切れない。
また、仕事をしているうちに、職人さんと出会いました。日本の一級の仕事をする人は淒いです。更に日本のジュエリーの仕事は、明治期に江戸時代、刀などの装飾を施した金工師達が始めたことを知って、日本のジュエリーって海外のブランドに全く負けないじゃないか!って思ったんです。とはいえ、多分本気になって来たのはここ1-2年です。少し、仕事ってこんなものかなあ?とわかって来たのは最近のことかもしれません。

平澤そうですね。気がついたらずっと働き続けていた。未だに悩み続けながら仕事をしています。

EDITOR'S NOTE

平澤さんは、働き始めた頃は全くキャリアを積もうとか、ましてや英語を使う仕事をするとは考えていらっしゃらなかった。でも、与えられたステージをひるまずに、一つ一つ誠実にやって来た結果が、今の仕事や家庭生活に結びついている気がします。

「私は基本、総務のおばちゃん」そう言ってしまえるところが本当に素敵だと思います。えてして人という者は、年齢やキャリアを積んでくると、不要なプライドといわれるものがにょきにょきと育って来てしまってよろしくない。また、逆にこのプライドというやつをいつでも捨てられる覚悟があると言うことは、何も怖くないともいえる。いつでも、自分を「0」にもどして、どんな低いとこからだって、また始められるから。

結局、人生なんて偶発的に起こったもので、始まってしまう、そっちの方が大きいのかもしれません。家庭、その他全部含めて、定められた運命みたいなのがあって、人はとりあえずその中で生かされている。そこで、少しだけ踏ん張ってみる。自然体だけれど、芯の強さを感じる女性でした。

シンコーストゥディオ 代表 米井 亜紀子

製作 「ひたむきに生きる人のために・ストーリーブック」製作チーム

Photographer: 永井守

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Editor: 米井亜紀子

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シンコーストゥディオ株式会社 代表 米井 亜紀子

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