つかう・つくる人をつなぐ場所
先日6月14日(木)に、クリエイターズセッションナイト、コンテンポラリージュエリー・アーティスト前田朝黄トークセッションを開催しました。
このイベントは、前田朝黄さんのシンコーストゥディオでのエギジビションのオープニングとして開催しましたが、つかう人とつくる人とをつなぐ場所として、アーティストに触れるられる場所をつくりたいと思い企画してみました。
「なんだか、面白いね」という時間があることが、人の幸福の根本かも知れない。
この前田朝黄さん、日本ではまだアートジュエリーというジャンルが認知されていないのでそれほど知られていませんが、ボストン美術館に作品が収蔵されているというかなり独自の世界を持ったアーティストなのです。
この写真も、ネックレスなのです。
新幹線の中に、金でつくられた棒人間がいます。
その一人ひとりにドラマがあって、動作の一瞬をとらえ、その動きで表現しています。
今回は、前田朝黄さんのアメリカFIT(Fashion Institute of Technology、ニューヨークの美術大学)時代の課題から、棒人間が生まれたエピソード。その作品をギャラリーに持ち込んだらすぐに売れて、今に至っていることなど、今までの軌跡をお話いただけました。
人がホッとする、なにか懐かしさを感じる、忘れていたことをふと思い出す
また、作品をつくるときは、「人がホッとする、なにか懐かしさを感じる、忘れていたことをふと思い出す」そんなことを大切に制作に向かうそうです。
彼女は子供の頃から、箱のなかで繰り広げられる人のドラマということについて考えてきたといいます。
小さい頃、電車に乗ってお出かけして、そのときに車窓に見えるマンションや団地、家々。
その箱の中には、100人、人がいたら、そこには100人の人生がある。
そう考えると、とてもわくわくしたと話していました。
それを今でも、その当時の感覚を引き継いで表現しているのだそうです。
このめまぐるしく動いていく時代のなかで、人の心のゆとりや、やさしさのようなものを表現してしたいの、そしてそれを感じてもらえたら嬉しい。
私は本当に微力だけれど、そういう感覚や感性を人がもったら、戦争なんかもなくなるかも知れない、と彼女のアートに対する姿勢を感じさせる一面を知ることができました。
アートジュエリーだから体験できる楽しさ
トークの後は、普段はつけられないアートジュエリーを実際につけてみて、「へーおもしろいねー」「この棒人間、パンフレットもっているよー」などと、わいわい言いながら、スマホで撮影会。
こういうのって、身につけられるアートジュエリーだからできる楽しみだと思います。
私が、日本伝統ののジュエリーの制作のバックグラウンドと同時にコンテンポラリーアートジュエリーのアーティストに注目している理由は、こういうちょっとした「楽しいね」という感覚が感じられることからかも知れません。
そして、何よりスピードに象徴され、経済優先で疲れた私たちの心に希望を持たせるのは、なんでもないふつうの人々に視線を向けた作品からあふれ出るやさしさだと思うのです。
人が必要とするモノとは、やっぱりそういうモノなのではないだろうかと、確信をさらに深めた夜でした。
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