素材価値とデザイン - ジュエリーはいらないけれど

Kosa-Curve ブルーグレー あこやパールリング

往々にしてジュエリーのデザインというものは、ダイヤモンドやパールなど、又は金やプラチナといった素材価値でその価値を語られてきたように思う。

けれど、今生きている人たちにとって、それがどれだけの意味があるのだろうか?

と思うことがあります。

確かに、ダイヤやサファイヤ、パールなどのいわゆる「宝石」と言われるものには、吸い込まれるような魅力があります。

また、貴金属と言われるだけあって、とにかく何百年でも変わらない耐久性があるのも事実。

けれど、そのために高額な金額を払って、それが人の幸福とイコールになる時代ではないと感じています。

その中に、ちょっと心地いい、かっこいい、素敵だというカタチとしてのデザインと、社会をどう変えていこうとしているか?そのものづくりの根っこみたいなものが見えなければ、きっと必要ないのモノだと思う。

つくる人は、金属と対話しながら、つくっていく必要があるだろう。

 

「宝石」は美しい。

だけど、土からとれる野菜や果物だって美しいじゃないか。

では、どうしてジュエリーみたいなモノが必要かといえば、

多分、そこには人が長年かけて磨いた技術や、デザインする人の感性や、あるいは身に着ける人の次世代にもつないでいく想いが深く混ざり合っているからだ。

つくる人と、つける人で時間をかけて、かけがいのないものになっていくんだろうと思う。

と、自分の仕事を、少しは必要なものだと肯定してみたくなって、書いてみました。

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