伊勢丹との新しい試み、『人』から始まる、日本のものづくり 若手に活躍する場を与え、生活に新しい価値を提案するプロジェクト『 JEWELRY & LIFE』10/31~11/13の2週間が終わりました。
会期中、店頭に来ていただいた方々、本当にありがとうございます。
前半の一週間を、ささきさとし、波夛野千尋、後半の一週間を、稲井つばさ、三塚貴仁が出品しました。
一般的に販売されているジュエリーとは少し違った、アートとしてのジュエリーと、デザインとしてのジュエリーを展示、販売。
期間中は、FB、Instagramのタイムラインにも掲載をいたしました。
せっかく伊勢丹さんが機会を与えてくださったので、私たちが携わる、『モノ』について、ジュエリーと若手のジュエリーアーティストを通して考えてみようと思ったのです。
波夛野千尋
今回二つのことについて考えるいい機会でした。
一つは、ものづくりのハイスペック化は、人に本当の感動を与えられるのかということ。
もう一つは、「アート」と「デザイン」の垣根について。
ものづくりの過度なハイスペックは人に感動を与えているか
ささきさとし
ジュエリーの制作をしていると、何しろクラフトマンの仕事に天井がないことを実感します。
「いい仕事」と一言で言うけれど、手をかけたらキリがない。
金やプラチナの表面をきれいに磨こうとしたら、正直キリがない。
石留めだって、彫りだって今ではマイクロスコープでするのが標準です。
しかしそこで、人がなぜモノを手に入れたいか、モノが必要なのか。
何に感動したいかを忘れていないだろうか、と感じることがあります。
今回、『JEWELRY & LIFE』に参加した、若手アーティスト達は、皆20代。
武蔵美や芸大で学んできました。しかし、正直毎日すごい数の仕事をこなしているクラフトマンには、逆立ちしたってかなわない。
稲井つばさ
でも、彼らの作品は、あきらかに、コマーシャルジュエリーといわれる一般のジュエリーより、創造的でエネルギーを感じました。
数ヶ月前、国立博物館で開催されていた「縄文」の展示を見たときにこんなことを感じました。
今から見たら、稚拙なつくりなのに、そこにある土器やジュエリーなどは、圧倒的な力強さをもっていた。
「なんて楽しいく、生きる力に満ちているんだろう」と強く心を揺さぶられました。
三塚貴仁
もちろん、ハイスペックな仕事も必要で、それをを評価してくれる人も大切だろうけれど、仕事のよさだけに、評価を求めるのは、「モノ」の価値を考えた時、それは少し違うのかもしれないと思っています。
「アート」と「デザイン」の垣根について
アートとデザインは違うと言います。
アートはつくる人自身の内面から出てきたもので、デザインは社会の問題を解決するという。
どちらを向いているかによって、アートかデザインかが決まると言われてきました。
しかし、その垣根はだれが決めるのでしょう。
ジュエリーの場合、コンテンポラリージュエリーというアートとしてのジュエリー、一般の商業ジュエリーつまりデザインとしてのジュエリーは明らかに違う場所で売られ、買う人も違うとされてきました。
発信する側は、その違いを明確に考えているかもしれない。
けれど、受け取る側、買う側にしてみれば「アート」でも「デザイン」でも自分たちが好きで、ここちいいモノであればなんの問題もない。
その垣根はどうでもよいのではないかと、最近感じるのです。
そして、アートも少しだけ、社会の方を向いてもいいのでは、人に寄り添っても悪くないのではと思っています。
その結果、その両方を提案してみました。
売上げの結果はといえば、どちらかといえば、アート作品は見ていく、デザインは買って行く という感じであったのは、必然といえば必然でした。
こういう試みをしながら、結局は「モノ」を持ちたい、買いたいという人にとって、いいものってなんだろうか。
どういう「モノ」が本当に心を揺さぶることができ、人を幸せな気持にするんだろう。
たぶん、それはつくりあげるプロセスから、買うところまで、全てを含めて「モノ」を売るという行為だと、心しないとだめなんだろうなと思います。
考えながら、迷いながら、新しいものを世に出していくことは、自分たちの大切な仕事なのだと思った2週間でした。
そして、苦しみながら新作に取り掛かっています。
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