ジュエリーの「デザイン」という話をするとき、
どうしても話がかみ合わないことが多い。
それはお客様との会話ではなく、むしろジュエリーを制作する側の人と話す時。
多くの人は「デザイン」というと、そのカタチのことだけを指して言います。
でも、本来の「デザイン」というのは違っていて、
「社会の問題をすくい取って、それを今まで誰もやらなかった方法で解決すること」
だと、
たしか、そうだと今まで考えてきた。
けれど、そこがどこかで抜け落ちて、カタチとしてのデザインをするものだから、
そこには、新しい試みはないし、結果的に美しいカタチは生まれない。
本来の「デザインができる」ということは、
人とのコミュニケーションをして初めて可能になるように思えるのです。
世の中には「中庸」と言われるデザインが結構ある。
悪い言い方で「平凡」いい言葉だと「差しさわりがない。」
確かに、そういうデザインも必要だろう。
だけどデザインは、本当は新しいことにチャレンジすることだ。
そのために、ずっとずっと、今、人がどんなふうに感じているかを肌で感じて、
新しい技術に注目して、
そのほか色々なことに、感情豊かに触れていたいのです。
私は、一塊の宝石屋のおばちゃんだけれど、
街の宝石屋のおばちゃんの方が、ずっとずっと社会の人に近いデザインをしている。
地域の人とふれあって、ずっと肌で感じるんだと言いたくなる。
この、コロナの時代に、以前と同じようにまるでデザインがベルトコンベアーに乗ったみたいにつくり上げられるとしたら、それはちょっと悲しい。
なぜなら、新しいことに挑戦しないっていうことは、
今の日本がとても遅れてしまった
-その原因に挑まないということだから。
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