古代の装身具は驚き
日本の装身具の歴史は特殊で、飛鳥時代と奈良時代の間で、突如として身につける風習がなくなってしまった。
だから、この古代の装身具は驚きです。
先日行ってきた「縄文-1万年の美の鼓動」と考古展示室で開催されていた「日本の考古(盛装女子)」で、ジュエリーの仕事に携わる者としてして、どうやらもう一度、ジュエリーというモノの意味を考え直さなければと強く反省しました。
これは、古墳時代の金のリングです。
粒金の技法は今と変わらず、2000年近く前に、こんなジュエリーがつくられていたことに驚きます。
こちらは、もっと古く、紀元前7,000~4,000年。
簪(かんざし)には、赤い漆が塗ってある。
死者のための耳飾は、埋葬品であったのだろうと思います。
こんな、文明草創期にすでにジュエリーがあった。
人はなぜジュエリーをつけるのか
それは、確かにジュエリーは権力の象徴であったり、呪術に使われたりしただろうけれども、そこには、今以上に深い人の想いが反映されていた。
そして、なにより自然からの恵としてのジュエリーのあり方が、そこにはあった。
現代、あるジュエリーは、経済優先の世界で、ひたすら経済的優位に立った者の象徴として存在している。
つまり、自然に人間が打ち勝った象徴としての、建築などにも取り入れられてきた、モダニズムという思想なのだと思う。
そして、今、人の心は少し原始に戻って、人間のあるがままを顧みる時期に入っているような気がします。
なぜなら、何万年、何千年たっても、生身の人間の心というのは、基本的に変わらないからだ。
それならば、今求められているジュエリーは何かを考えなければ。
あまりにも早く動いていく時代のなかで、置き去りにされる心を、シンプルに、豊かに、ほっとさせるものでなければいけない。
この古代の装身具(ジュエリー)を見ることで、そんなことを思うのです。
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