5年前の3月11日、東日本を襲った地震。
あの時何をしていたのかと今思い起こしてみると。
とにかく世田谷のショップを休まず開けていたことを思い出します。
社員はしばらく自宅待機で私一人で宝石屋を開けていました。
勿論、宝石なんて売れません。
しかし、学校も会社も休み、東京は原発の問題もあって、不安を感じる人が、なんだかんだとり話しに来る。
「ああ、宝石屋ってこういうときのためにあるのだ。」とつくづくお客様に教えられた気がしました。
「心の拠り所」としての宝石店。ジュエリーというものの、想い入れの深さ。
そして、昨日息子の高校の卒業式参列。
科学技術系の高校で、我が息子は例外ですがほとんどの学生は理系の将来技術者や研究者になる方向性の大学に進学します。
きっと君たちのうちの何人かは、日本か世界かわからないけれど、科学技術をひっぱっていく存在になるだろう。
大学に進学し、友達もそういう友達だけしかいない。
そうすると、なかなか実感として災害を被った人々や、社会の底辺で這い上がろうとしても這い上がれることができない存在の人たちがいることに気がつかない。
そういうことについて、考えることはあまり無くなってしまうかもしれない。
人はいつでも弱者になり得るから。いや、必ずいつかは弱者になるのだから、この3月11日を若者に忘れないで欲しいと思う。
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