昨日はヒロシマの原爆投下の日であった。
8月というと、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下、終戦記念日。
もちろん戦後生まれの私には、ピンと来ない部分もあった。
けれど、なんだか昨日SNSを読んでいても、あまりヒロシマのことを投稿している人がいなかったので、すこし寂しいなあという想いがしたので、ここに書き留めたい。
戦争では、日々の生活をしていた人達が、一瞬にしてその生活を失った。
実は、日々の生活は、とんでもなく危うい場所に、今でもある。
でも、人はその場所に立ってみなければ、今の幸福が奇跡の連続だということに気がつかない。
昨日、養老孟司さんの「逆さメガネ」を読み返していて。
「都市生活は生老病死」を見ない」と言う言葉があって、なるほどと思った。
四苦(生病老死)はもともと人が生まれつき抱えている運命です。つまり自然です。生まれたのも自分の意志ではないし、歳をとるのも、ひとりでにとります。自分がどんな病気になるか、死ぬのはいつか、なぜか、それもいっさい不明です。それが自然としての人生です。
ところが都市に住むと、それが見えなくなる。
(PHP出版「養老孟司の<逆さメガネ>」より)
今の社会は、四苦から離れすぎてしまったように感じます。
だから、なんだろう、過去の負の歴史を忘れたくないという気持ちがしてくる。
それが、人間本来の自然の流れなんだという事を、思い起こさせてくれるから。
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