毎年の年中行事を行うということ と ジュエリー 製作 の時間の流れ

人は豊かな時をすごしているか?

今年も、ひな祭りに、雛人形を飾ってみました。

ひな祭り

お正月、七草、豆まき、ひな祭り、端午の節句、お盆…..その他諸々、年中行事はにしょっちゅうやって来ては、去っていき本当に忙しい。
雛人形を出したり、五月人形をだしたり、相当面倒くさいのですが、あえて毎年やっています。
一年に一回、お人形さんのお顔を眺めて「こんにちは、今年も1年どうにか過ごせました。」というメッセージを伝えたい。
今、という時代はネット社会になり、皆本当に忙しい。
私も、日々生活している中で、つい先に割り込んできてしまう情報を優先させがちになってしまいます。スマホやディスプレイに映し出されたことを先にやりたくなってしまうのです。

遅い、時間を取るっていけないことなの?

でも、それが本当の優先順位かな?ということに、時々立ち止まってみる余裕がきっと必要なのです。
そういうときに、百年、千年単位で続いてきた行事を淡々とこなすというのは、時間の動きが全く違っていて、とてもいい。
コンピューターやネットは、世の中をとても便利にしたけれど、それと同時に人の時間を更に忙しくしたようにも思えます。
「遅い」とか「時間を取る」ということが、ずっと悪だとされて来ました。
でも本当にそうなのか?と思います。
どんなに、技術が進んでも、私たち生身の人間は1000年前と何ら変りのない肉体を持ち、思想を持ち生活している。
文明にとっては、「遅い」とか「時間を取る」事が、あまりよくないことだったかも知れないけれど、人間そのものにとってはどうなのだろう。
もっと、ゆっくりでもいいのではないでしょうか?
とはいえ、私たちは巨大な経済活動の中に生き、何とか生き抜いていかなければいけない。
その、狭間でおそらく、私たちはその矛盾に気づき始めている。
私が生活の糧としている、ジュエリーづくりも、実に時代に逆行していて、時間はかかる、原材料は高い、金額は高い。
というわけで、どこに行っても「ジュエリーはあまり興味ないので…」と言われる。
「無理もないよな。」と私も思う。
高くて、華美で、つくるのに時間がかかって、最も必要のないもの。
その代表格は、今の時代にはそぐわない。
つまり、時代に逆行している商材なのです。

生身の人間に寄り添うためにジュエリーはある

でも、一方で100年、1000年の歴史を越えて行き、日本の金工師の仕事を背景に持ち、精緻な仕事。
それを今の時代に、人々がちょっと、ゆっくり、時間をかけたいときに、ふっとそばにいるジュエリーがあっても、まあいいではないか!と思ってしまう。
生身の人間の弱さに寄り添うのが、ジュエリーのミッションである。
…と少しかっこいいことを考えながら、雛人形を出していました。
しかし、すでに早く片付けないといけなくて、それが又大変なのです。

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