刀の金工の仕事が日本ジュエリーの原点
簪(かんざし)や根付などの飾り職人の仕事とは別に、明治以降日本のジュエリーが発展した背景には、武士の時代に発展した、刀の装飾を施す、金工の仕事の基礎が合ったためというのは、まず間違いがない。
江戸時代は、各大名が刀剣や武具をつくる職人、あるいはアーティストといってもよいぐらいのレベルの人たちを、競って育てパトロンになっていた。
そこで、非常に技巧的かつアーティスティックな職人たちが育っていきました。
けれども1876年(明治9年)に廃刀令が発せられると、そういった刀剣の金工師たちは失業し、職業替えを余儀なくされる。
そこで、必要となってきたのが、鹿鳴館をシンボルとする西洋的な付き合い。
多くの、金工師はジュエリー製作、あるいはパリ万博などを代表する、海外での日本の権威を見せるための工芸品の世界へ転換する。
この時期に誕生した、近年「超絶技巧」と評される金工師の技は、この時期に政府に奨励されて、どんどん海外に渡って、いわゆる「ジャポニズムブーム」にのって売れていったようです。
日本のジュエリー製作は西洋の真似ではない
こういった背景があることは、あまり知られていないし、私自身もこの仕事になんとなく携わるようになってから、ある優秀な職人の方を通して知りました。
ジュエリーとは西洋のものであるという前提でジュエリーを見ているのと、日本古来の技術やアイデンティティがその仕事の背景にあると知っているのでは、捉え方に全く違いが出てくると思う。
私自身も、その背景を知るまでは、この仕事を突き詰めようとは思わなかったし、ジュエリーというものが「高価なだけの不要なもの」だと思っていたので、全く意識が変りました。
もう少し、このジュエリー製作の背景を一般の人たちに知らしめる必要がある。
と思い、今こうやって書いています。
いままで、ジュエリーの業界で、ジュエリーの歴史を研究史、著書を書いている方もいる。
また、私は一介の宝石屋のおばちゃんに過ぎないので、知識も豊富とはいえないけれど、日々お客様と対話しているからこそ、易しく、わかり易く、またジュエリーを身に着ける意味を話すことができるのかも知れないと思っています。
ジュエリーはファッションであり、デザインである
日本のジュエリーは日本独自の道を歩んでいることを知ると、そのジュエリーを身に着ける「日本」というものに少し自身をもてるのがいいといます。
それは国粋的になることもなく、かなり平和的に。
けれども、ジュエリーはファッションだから、工芸品になってはいけないのです。
日本を少し誇りに思えるものであると同時に、今の社会で生きる人の想いを汲み取り、ものを発信していかなければいけない。それがデザインなのではないかと考えています。
少しずつ、日本のジュエリー製作についてを書いていきます。
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