「ジュエリー」とは石のことだけではない
「ジュエリー」というと、ダイヤモンド、サファイヤ、ルビー、真珠等々、石や素材の話になります。
でも、それ以上にジュエリーを、インテリジェンスに仕上げるには、デザインの感性や、つくりの技術が大切だ。
K18WG/K18YG Oribe[織部]リング 様々な角度から見る度に違う印象。表面の綾織のようなテクスチャー
ジュエリーの仕事をしてきた者としては石の価値は決して否定はしないし、ジェムストーンの魅力も充分感じている。
でも今、なんだか、そういう価値観は、あまり社会から求められていないような気がする。
「このダイヤモンドは何キャラットで大きくていいでしょう。」とか、「この石は希少性があって高かったのよ。」など。
お金があれば誰でも手に入るもの、素材価値だけより、それをつくり上げた人の感性や、技術を評価した買い物をする方がスマートに感じる。
人の創造性に宿るデザインだとか、そのジュエリーをつくり上げたバックボーン、アイデンティティに根ざしたものづくりの技術を評価しようという気風があるように感じる。そして、私自身も、そういうもを身につけたいと願っています。
ジュエリーはクリエイティビティとテクニック、そして身につける人の想いが交差するもの
今、若手のジュエリークリエーターの仕事が注目を浴びています。自分たちでつくって、自分たちで売るイベントにも人気があります。
でも、本当に実力のあるアーティストとなにか違う。
今、海外ではコンテンポラリージュエリーのエキジビションや街ぐるみの祭典が盛んです。ミュンヘンのジュエリーウィーク、バルセロナのJOYA等々。この流れは、一般にジュエリーを買う人たちにとっても、注目に値します。ここで、表現されているのは、まさに素材価値ではないからです。結局、本当のジュエリーに求められているのは、発想、造形の力、技術、その根底にある覚悟。ジュエリーとは、クリエイティビティとテクニック、そして身につける人の想いが交差することによって出来上がる、非常にインテリジェンスなものなのだ。
Pt. ツァボライト(グリーンガーネット)リングテクスチャーは日本の鏨(たがね)で彫りいれている
だからもう少し、日々の生活に寄り添える、重みのあるジュエリーがあってもいいのではないだろうか。
Pt. ダイヤモンドリング 日々の仕事でも着けやすいように、装着感にはこだわっている
本当のアーティストの日々の積み重ねは、驚くほど質素で、地道で、それでいていい意味で何か世間とずれている。そこに、きちんとものづくりができるクラフトマンの仕事が加わること。
100年たっても、仕上げ直しすれば、元に戻るもの。私だったら、そういうジュエリーと一緒に、日々を闘い、悩み、笑って生きていきたいと思う。
そんなに仰々しくなくていい。
日々の生活に寄り添ってくれ、人の技や感性が注がれたものと一緒に暮らしたいと私は思う。そして、これからも身につける人のことを考えながら、ジュエリーをつくっていく。
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