どういう風に暮らしていきたいか、一人ひとりのデザイン
来週の夏休み前に、日々仕事をしていて感じることを書いてみようと思います。
「デザイン」についてです。
街の宝石屋のおばちゃんなので、「デザイン」などについて述べるのは、恐れ多いのです。
しかし、そもそも「デザイン」って、世の中の問題を解決することを最大の目的としているのであれば、クリエイティブ○○とか、○○デザイナーとか、専門家だけが述べることなんだろうか?と最近感じています。
むしろ、そこ、ここに生活しているみんなの中にデザインの本質は眠っているのだろうと感じています。
最終的には、人がどういう風に暮らしていきたいか、それは一人ひとりの選択で、そこに新しい価値の提案をするのがきっとデザインという言葉の意味なんじゃないだろうか。
デザインはプロセスだと思う
たぶん、創造的なラインや造形や、そういうモノをどんどん生み出していく才能のある人はいるだろうけれど、デザインはどうやって、だれと、何のために、だれのためにつくったかというのがとても大事なのだと思います。
そのものの「カタチ」だけではなく、そこに至るまでのプロセスを今「デザイン」と呼ぶ。
それがとても大事なんだと、やっとわかってきました。
お店でお客様と話しているとわかること
だから、お店があり、商品があり、周りに生活している人達がいて、それで初めて成り立っていく。
そういう人達が求めている潜在的な要望というものを、お店で、色々と話したり、ちょっと挨拶したり、そんなところからすくい上げていく。
「色々悩んでみたんですけれど、実はこんな新しい方法がありましたんです。はい…」と、提案できるようになれたら嬉しいといつも思っています。
そろそろ、「デザインってなんだろうか?」日々の生活をする一人ひとりが考えるとき。
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