大学という商品
土日はセンター試験だった。
大学を受験しようとする、多くの若者が受けただろう。うちの息子の同級生も、結構浪人をしているので受験しているはず。
今の大学の受験方式は、多岐にわたっていて相当気をつけていないと、意味不明で受験の機会を失ってしまうように感じています。まず、熱心な親がいて、試験日や受験料のスケジュール管理や、金銭管理ができないと難しい。
また、ほぼ塾や予備校に通わないと合格はこれもまた、なかなか難しい。(AO入試はまた別です。)
自分で仕事をしているので、にあまり学歴というのが役にたたないなあ?と実感するようになりました。
だから、奨学金のような大きな借金を背負って大学に行く意味ってどうなのかな?とも思います。
また、私が大学受験をした頃は、まだまだ現役生で予備校に通っている人はいなくて、独学。あるいはちょっとだけ、模試を受ける程度でしたので、自分なりに勉強の工夫というものをする余地があったように感じます。
つまり、どういうことかというと。
勉強の仕方を工夫するのがうまい人が現役では受かる率も高い。
その工夫もかなりのアイデアなんですね。ところが今は予備校で最短ルーとを教えてくれてしまう。
そうすると、失敗したり、間違えた方向で勉強して膨大な時間を費やしたりりしながら、点数を採るという経験が生まれるわけです。だから今はどうなのかなと。
確実に受験産業という一大市場です。
良いか悪いかは、別として、少し冷静になって考えてみる必要がありそうです。
とはいえ、親としては子供が希望が抱ける方向へ導いてやりたい。
大抵の18歳はまだ、何の目標も定まらないから大学でモラトリアム期間を設けてあげるのもいいと思うのも親心です。
一方で大学というのも1つの商品だということを忘れないようにしないとと思います。
色々な選択肢があるということ
最近、おもしろいと思うのはAO入試。
実は、この入試の実態って学校ごとに違っていて、把握するのが難しいのですが、うちの息子の行っていた高校の話をします。
科学技術系の学校なのですが、基本学校は受験に対してはほぼノータッチ。
高校三年でやる、研究課題というものに心血を注いでいます。これは、大学でいうなら、卒業研究とでもいいましょうか?
ロボットをつくったり、プログラムやシステムを作ったり。
本当に楽しそうなんです。生徒が生き生きしていて、夜中まで学校でやっている。
もちろん受験はそっちのけになってしまうのですが、こういうのが本当の「学ぶ」ということなのかもしれないと思います。
彼らの多くは、実は結構AO入試で大学に入学しています。特に国公立にこの傾向が強いのには驚かされます。
あまり、表立って大学は発表しないのですが、大学存続のためにはとんがった子供が欲しいのでしょう。
この課題研究の研究発表成果や、同級生同士で資金をベンチャー企業に投資してもらってアメリカのロボットコンテストにでたり。
プログラムは生徒の方が先生よりよっぽどできる子がいます。
一方で、うちの息子のように、なーんにも興味はないけど、何となく3年間を過ごす子供もいる。
有名大学に行く子もいれば、プー太郎や高校で就職、専門学校に行く子もいる。
その様々な選択肢が許される雰囲気はとてもいいなと思いました。
ちなみに、息子はセンター試験は受けたものの、高卒で、ぶらぶらしていたので、「バイトして自分で生きろー」と家から追い出し。
いつの間にか今は働いています。
18歳で働いている人は、まだ少ないので、今のところは希少価値で生きています。
コメントを残す