ジュエリーアーティストとの仕事
ドイツで活動する、コンテンポラリー・ジュエリーアーティスト西林佳寿子とつくったSurface[面と線]
「ジュエリーをつくっています。」
というと「デザイナーさんですか?」
と聞かれる。
その時に
「私は、デザイナーでもないし、モノもつくれない。」というと、大抵の人はがっかりする。
実際は、多少の造形はするし、たぶん業界を横断した製法などに関してはかなり詳しいと思う。
けれど、私はアーティストでもデザイナーでもないので、名前はいらない。
今、本当にジュエリーを手作りして、売りたいという人が多い。
ジュエリーというか、アクセサリーとの中間(その線引きはよくわからないけれど)を自分でつくって売りたいという人たちが多いような感じがする。
私は、家業としてあったものをついで、オリジナルをつくり始めたので、手が器用であるわけではない。
残念ながら造形的な発想は、それをずっと突き詰めて才能のあるアーティストの人には逆立ちしてもかなわない。
ジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)という、ものづくりの人たちが集まっているコミュニティを続けていると、とんでもない才能がある人たちがいて、自分がジュエリー自体の造形をすることには、限界がありいいものはできないということがしみじみわかる。
では、私ができるデザインと言うのは何だろう?
と言うことを考えたときに、この才能ある人たちと、社会に求められているものとを結びつけていくこと、それがデザインなのではないかと思った。
私は、モノづくりをする人たちを尊敬するし、すばらしいと思うけれど、やっぱり常にそれは社会に向けて何か働きかける力がなければばあまり意味がないと思っている。
アートは、デザインと違って、発信する人個人的なものでよいというけれど、もう少し大きく考えて、その個人的な発信がいったい一般の人たちに最終的に何になるのか、だから発信するという強い意思が必要なきがする。
一方で、デザインは、社会の問題をすくい取り、解決していくことだから、個人的な発信に陥ってしまってはいけないと思う。
今微妙に人々が感じている感覚をすくい取っていくこと。
様々なアーティスト、デザイナーやクラフトマンとつながり、伝統技法、あるいは最新の技法を、使っていく。
そして最終的に身に着けるお客様と直につながって、その要望を反映し、言葉に落としてみよう。
そして、新しい価値を提案できればと、今考えています?
ジュエリーアーティストとの仕事
コンテンポラリー・ジュエリーアーティスト五味和代とつくったTsutsum[包]
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