なんでジュエリーなんか売っているんだろう?-職業について

職業というのは不思議である。
何がきっかけでその仕事を始めるのかはわからない。

私の場合は、父がいわゆる町の小さな父ちゃん母ちゃんの時計屋であった。
時計・めがね・宝石というなんだか良くわからない混合商売をしていた。
しかし、まったくそういった仕事に興味があったわけではないし、宝石などというもの身につけることなどなく育ったと思う。

学生時代も会社で働きだしてからもファッションやジュエリーにはほとんど興味が無く、体力勝負、素で生きるというスタンスで生きていたように思う。
したがって高価なジュエリーを買う人の気持ちなどわかる訳もなく、コンピューター会社の会社員時代は、ひたすら営業という仕事に没頭していた。
しかし、職業というものは不思議で、しばらく営業の仕事をしているうちに多少なりとも、プロという意識が芽生えてきた。

そうなると、客は自分をどう見るか、この仕事をするために自分がどう見られなければいけないか、ということを考えるようになる。
そして、いい仕事をしたければ、自分の考えや生き方が反映した「モノ」を身につける必要があるということに気づいた。
確かに予算の関係上、そんなに高いものは買えないけれど、一つ一つ自分の生き方何かしら反映したものが欲しいと考えるようになった。

そして、縁あってこの仕事に就くようになり、実はジュエリーはその究極の「モノ」の一つであることに気づく。

Hisho

ジュエリーというものは、何年も何百年もの耐久性があり、修理が出来、ずっと身につけていられるという本当に不思議な「モノ」なのである。

最近は、耐久性がなく、修理が効かない、いわゆるファッションジュエリーというものも増えている。一方、それなりにきちんと出来上がっているものは、それなりの値段がするので、もちろん二の足を踏むのが当たり前であろう。

しかし、何かの記念、何かの機会があったらちょっとちゃんとしたものを買って欲しい。きっとそのジュエリーには、自然から恵まれた石や鉱物と職人の汗と涙とがいっぱい詰まっていて、その後のあなたの人生を共に歩んでくれるパートナーになると思うから。
このようにベタな学生時代から、多少なりともこだわりを持つ人間に変わった軌跡を書いてみたけれど、職業というものは、人の人生観を大きく変えるから不思議のものです。それは専業主婦でもパートでも、あるいは今一銭も稼げないけれど新しく仕事をしようとしている人でも、仕事の上下ってまったく無いのです。仕事をしていくというプロの意識。

それが大切なアイデンティティだとつくづく思います。

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