SHINKO STUDIO | ジュエリーリフォーム&デザイン東京 – シンコーストゥディオ

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MENTOSEN
デザインとものづくり - 人とデジタルの関係を考える

10/9 「アプライドアートの波が来ているらしい」開催しました

10/9(水)渋谷区文化センター大和田で、ジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)主催、シンコーストゥディオ協賛で
「アプライドアートの 波がきているらしい-日本にいながら海外で活躍するコンテンポラリージュエリー・アーティスト達のトークセッション」を開催しました。


日本にいながら果敢に海外に挑戦しプライズを獲得、あるいは、海外での個展、や有名美術館に作品が収蔵されている日本人コンテンポラリージュエリー・アーティスト達3人。彼らのトーク&ディスカッションを開催しました。
同時に作品展示もしていただき、実際触れてみたり、着けてみたり、作品を体感しました。

海外で盛んになるアプライドアートの動き

主にヨーロッパで活動の場を広げている、松浦峰里さん(mineri matsuura ウェブサイト)
昨年、今年とGioielli in Fermento (イタリア)でのアワードの様子や、ALLIAGES Legacy award(フランス)の様子を多くの写真とともに、紹介。

アプライドアートとは、実用的なモノに、アートの感性や技法を応用して制作されたもので、家具やジュエリー、インスタレーション、広い意味では建築もその分野に入るとも言われています。

海外では、コンテンポラリージュエリーを、アプライドアートの一つとしてとらえていて、とらえ方が、日本と海外では全く違うこと。
そこに集まって来る人達が、かなりの知識人階級の女性や男性であること。
そしてジュエリーを通して、ディスカッションを楽しんでいる様子を、多くの画像を通して知ることができました。 

By Mineri Matsuura


一方、前田朝黄さんは、主にアメリカでの活動が多いアーティスト。Asagi Maeda YouTube
ニューヨークのMAD(The Museum of Arts and Design)で毎年行われる、「Loot」という、各国のコンテンポラリーのアーティスト達が集まるフェスティバルに、ここ数年毎年参加しています。


By Asagi Maeda

彼女のジュエリーはジュエリーとそれに付随してつくられた動画を一緒に見ることで、さらに感動が深まります。
どこにでもある、人々の日々の生活を、やさしく描いています。


ニューヨークのMADは、元々American Craft Museumという名称でしたが、2002年に「Arts」という言葉を入れ、アプライドアートをより意識した美術館になり、人気を博しているということでした。

 弱冠23歳の青木愛実さんは、今年ドイツミュンヘンで発表される、若手アプライドアートの登竜門「Talente」でアワードを見事獲得。


この授賞式の時期、ミュンヘンはMunich Jewellery Week といって町中がコンテンポラリージュエリーの展示や、ワークショップで溢れ、人々がジュエリーについて語り合うという光景が見られるそうです。

 


By Manami Aoki

 彼女自身は、なるべく簡単な言葉で、ジュエリーを表現していると言います。
彼女の作品は、コンセプトや、技法など、非常に独特で、木から出来上がるジュエリーの質感がとてもやさしいと感じました。


そして、海外のアーティスト達のジュエリー制作の題材が、時には政治であったり、社会の問題であることに衝撃を受けたと言います。 

ジュエリーの役割は

今回は、このアーティスティックなジュエリーが、一般の人たちに、いったいどんな必要があるのだろうか?
というディスカッションテーマが提示されました。

ともすると、アーティストは自分の世界に閉じこもり、社会とのつながりを意識しなくなってしまうけれど、コンテンポラリージュエリーはどうなんでしょうか?

その答えの一つとして、
「コンテンポラリー=同時代」という意味であるから、今の社会情勢や人の関心や気持ちと、切り離すことはできない。

さらにジュエリーは肌に身に着けるという特殊なモノであるために、人と関わりはとても重要な要素。


違う人を認め合い、受けいれる社会をつくっていくために、アーティストは風穴を開けていく意識が必要だと力強い言葉が交わされました。

参加者は、ジュエリーだけではなく、根付のアーティストや七宝、カトラリー制作者といった、様々な分野の方々が集まってくれて、活気に満ちていました。


そしてこれからは、コマーシャルジュエリーの世界も、アートの世界も、あるいはそのほかのアプライドアートなども、きっとその境目を意識する必要はない。


デザインとアートが曖昧で、それが今を生きる人たちには、だれもが生きやすい素地をつくることになるだろうと感じました。

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