先日のジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)の伊東豊雄さんとのトークセッションで、これから私たちが生きていく上で、きっとキーワードになるであろうと思われる言葉がありましたので、トークセッションの様子を少しご紹介します。
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バーチャルな世界にずっといると、人は感受性というものを失っていく
米井:今回のテーマは「これからの日本のモノづくり」です。
伊東さんは「日本語の建築」(PHP出版)の中で、まず「建築は『モノ』である」と述べていらっしゃいます。近年、断舎利ブームなどのモノはもういらないという風潮が強いと思いますが、どのように思っていらっしゃいますか?
伊東:以前は物の売り買いで、経済が動いていたわけですよね。資本主義の社会に入ってからもう物を介してそうやってこの会社と経済の往来の姿であった。けれど、ある時点から株の売り買いのようなモノを介さないでも、むしろモノを介さないほうが儲かるという評価になってきた。
グローバル経済というのは一瞬にして、ボタン1つだけで何百万の何千万というお金が入る、また失うこともある。
そういう社会なってしまった。
そういうバーチャルな世界にずっといると、人は自然から受けている、感受性というものを失っていく気がします。
動物的な感受性というのは、やっぱり自然と接していないと生まれてこないものだし、それを失ってしまったら人間でいる意味がない。
米井:一つずつ人の感覚とか感性や情熱が入っているモノっていうのが。そういうモノが生活の中に取り入れられ、そこで生きていくっていうことが、何か人にとっては幸福なような気がします。その中で、世の中でちょっとおかしいぞと疑問を持ったり、人と違う感覚が芽生えるというのが、いいと思うんですよね。
伊東:日本のお家芸は、アジアを通って入って来たものをソフィスティケーションするということなんだけれど、今は、そこでプリミティブなエネルギーっていうものが失われている。
特に都市の生活で動物的な感受性が失われていく。
そしてソフィスティケーションしかないっていうようなことは、日本を非常につまらなくしているような気がしますね。
楽しい明るい嬉しいものなんだよっていう
そういう気持ちがね、いくらソフィスティケーションの技術だけで自慢していてもやっぱり、つまらないなと思うんです。
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この対談の言葉は、モノづくりに携わる私たちに、とても勇気を与えてくれました。
確かに、建築、ジュエリー、金属工芸は、まったくちがうモノのようなのだけれど、私はとても共通する部分があると思っています。
それは、空間軸で捉えるならば、「立体」であるということ。
物事を様々な角度から考えて、モノというカタチに落とし込んでいく。
また、時間軸でいうならば、世代をまたがって、その人の歴史に寄り添っていくということ。
建築もジュエリーも、金属工芸作品も
今の時代の、画一的なものの見方に対して、もっと自由に、様々な方向から、柔軟に優しく考えていこう。
そしてもう少し長い時間軸で物事を見てこう。そんな提案ができる「モノ」のような気がするのです。
伊東さんもおっしゃっていましたが、私たちモノづくりに関わる人間たちは、「楽しい、明るい、嬉しいものなんだよ」っていうメッセージを実にシンプルに「モノ」を通して伝えたいのかもしれない。
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