伊東豊雄さんの建築の考え方
私が主宰するジュエリー・アーティスト・ジャパン(JAJ)は建築家・伊東豊雄トークセッション 「日本のこれからのモノづくり -建築×ジュエリー×金属工芸」を4月11日(水)東京ウィメンズプラザで開催いたしました。
建築家の伊東豊雄さん、鹿島布目(象嵌)5代目継承者の鹿島和生さんとのトークセッションを開催しました。
当初、日本を代表する建築家である伊東さんをお呼びするなど、とても恐れ多いことなのでした。
しかし、私はどうしても、今モノづくりをする人、特に若い人たちにメッセージを発して欲しかった。
無理を承知でお願いすると、秘書の方から丁寧なご連絡を頂きました。
そして、鹿島和生さんもセッション参加を快諾してくださり、今回のトークセッションが現実のものとなりました。
建築は「モノ」である
「日本の建築(PHP新書)」という本の中で伊東豊雄さんは、『建築は「モノ」である』と冒頭書いていらっしゃっています。現在のグローバル経済は、実態のないバーチャルな空間の活動であるとも。
実際、私自身も含め、今モノづくりをしている人間たちは、何をつくっていくべきなのか、社会に対してそれがいったい何になるのか、非常に迷っているのではないかと思います。
だからこそ、この実態のない世界に、あえて建築という「モノ」で挑んでいる伊藤豊雄さんにお話を聞きたかったのです。
そして、建築とモノづくりとしてのジュエリー、そして日本のジュエリーの根っこである金属工芸も含めて、トークセッションをしてみようとい思いました。
かなり挑戦的な試みだったかもしれません。
人は自然の一部
伊東豊雄さんは、当初はモダニズム建築の影響を受けこの世界に入った方です。
西洋からもたらされたモダニズム建築とは、人間の力が自然の力を超越して建物を立てることができる。人が確立した技術によってすべてがコントロールできるという思想の元でつくられたものといえるでしょう。
しかし、伊東豊雄さんの考え方はかなり違っています。
近代以前、人間は良い川のほとりに住み、その川の恩恵を受けて生きてきた。
川の支流のようなモノが、人間の身体であった。だから人間も自然の一部である。
「自然の一部であるような建築というのは可能であろうか?」といういう問いかけに常に向き合っているとおっしゃっていました。
場所の意味、地域の持っている意味、歴史や風土を尊重して建物を建てるべきだと。
ですから、伊東豊雄さんの建築は、場所場所で地域地域で建物を変えていきます。「伊東豊雄」を前面に押し出す建築ではないと感じます。
西欧の建築は自然と対峙する考えを元に発展してきましたが、近代以前のアジアを含め日本では自然に対して開いていく考えを持っていました。
外に対して壁をつくるのではなく、オープンにしていくべきだと伊東豊雄さんは言っていました。
その考え方は、今、閉塞感に満ちた時代を突破する唯一の方法なのではないかと、私も感じます。
建築と金属工芸そしてジュエリーに共通する日本のモノづくり
建築もジュエリーも金属工芸も、日本の仕事が世界で評価される要因の半分以上は、日本の職人たちのクオリティの高さだということでした。
「誰もできないんであれば、俺がつくってやるよ!」という、職人のプライド、そしてその驚異的な腕。
私もそれはつくづく感じてます。
ジュエリーもどんなに最新のテクノロジーを使ったとしても、最後は人の手が入らないと上質感が出てこないのです。
動物的な感受性を失わない
伊東豊雄さんのお話で、
東京は、「安心」「安全」な都市を目指すという。
確かにそれは必要だろう。
けれども、反対から見ればそれは「四角箱に入っていなさい。そこから出なければ案心でしょう」と非常に管理された社会になっていないだろうか?
そして、人はそこから声を上げることも、疑問を持つこともしない。
リスクがないということは、冒険もない。
それでは人間としては、最も死に近いところにいるように思える。
プリミティブな、動物的な感受性を失ってしまったら人間は終わりだ。
*プリミティブ (primitive): 原始的、素朴な
この言葉は、「これからのモノづくり」だけではなく、今を生きている私たちのヒントになるような気がしました。
生まれながらの自分の感性で「面白い」とか「心地いい」とかを感じ取ること。
それが人が生きいきと生きていくっていうことなんじゃないだろうか?
みんなそれぞれが違う感性で、自分で感じる、そして動くっていうことがとても大事な気がする。
そして、モノをつくる私たちは、さらにその感覚を大切にしたい。そしてバーチャル世界と相反する「モノ」を通して、何かを伝えていくべきなのだと。
それがモノづくりに携わる人間の、生きている上での大切な責務なのかもしれない。
そんなことを思った。
今日から、またモノづくりに関わっていこう。
伊東豊雄(いとう とよお)
建築家。1941年生まれ。
主な作品に「せんだいメディアテーク」、「MIKIMOTO Ginza 2」、「多摩美術大学図書館(八王子)」、「みんなの森ぎふメディアコスモス」、「台中国家歌劇院(台湾)」など。ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル、プリツカー建築賞など受賞。2012年に私塾「伊東建築塾」を設立。児童対象の建築スクールや、地方の島づくりなど、これからのまちや建築を考える場として様々な活動を行っている。東日本大震災後、仮設住宅における住民の憩いの場として「みんなの家」を提案し、東北では16軒、2016年の熊本地震では90棟余りが整備された。
鹿島和生(かしま かずお)
1958年東京生まれ。金工作家。
江戸時代から続く、象嵌(ぞうがん)技法、鹿島布目(かしまぬのめ)5代目継承者。鹿島布目は初めて、鉄以外の金属に象嵌を施すことに成功した革命的な技法。常にイノベーションの意識が高く、時代と共に進化してきた。その技法を継承し、独特の世界観で作品を制作している。工房では海外からの留学生も多数受け入れ、後進の指導に情熱を注いでいる。伝統工芸日本金工展の受賞多数。日本工芸会正会員。彫金工房 工人舎 主宰。
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