ジュエリーは不要なものなのか
「ジュエリーってパーティで着けるものだから、もうい今はいらない。」という人は多い。
ましてやお金持ちの象徴のようなものをチャラチャラ着けているのも、今はあまりかっこよく見えない。
たしかに、もののいらない時代かもしれない。
そしてジュエリーは高い。
でも、不要なものなのかな?とも思う。
実は、今までのジュエリーの考えられてきた「華美だから、不要なもの。」というイメージを変えたいとひそかに、いやかなり本気に考えています。
おそらく、このブログを書いている理由のひとつは、その伝道活動の1つかもしれません。
安くて簡単に出来るものの、究極の反対側にあるジュエリー
最近閉口するのが、電話加入の勧誘の電話。
電話の仲介の会社を変えると「安くなる。」らしい。
しかし、この競争、常に「安くなる。」がうたい文句。
どうやら私は、昔からへそ曲がりらしい。
こういう電話がかかってくると、「もういいです。」と断ってしまうことも多い。
そうすると電話の向こうの人が、すごく不思議そうに「だって安くなるんです????」と聞いてくる。
もちろん、安いことに誘惑が無いわけではないから、ほどほどに話を聞いたりはするけれど、一日にあまりにも多くの電話がかかってくると、もう少し頭を使って仕事をしようよ。価格競争の果てにいったい何があるんだろう?とも思ってしまう。
そのまったく反対側にいる、私たちの仕事。
デザインした想像力とか、どこまでもストイックに仕事をして出来上がったジュエリーを、どうしたら適正価格で、しかもお客様が納得する形で買ってもらえるのだろうか?
そればかり考えている。
この世で必要とされているかの評価が、値段
結局は、世の中でどれだけ必要とされているかが、値段の評価。
いまこそジュエリーが必要な時代なのではないか?と思っている。
私は、相当庶民で、まったくお嬢様でもなかったので、華美なジュエリーというものに、興味も無かったし、自分らしくないとずっと考えてきた。
けれど、私のジュエリーの捉え方が、間違っていたということに気づいてから、本当の意味でジュエリーをきちんとプロデュースできるようになってきたように思う。
心のよりどころになる、それがジュエリー
私がつくるジュエリーは、普段使いのジュエリーがほとんど。
けれど、決して安いとはいえないかも知れない。
ずっと身につけるものだから、ちゃんとつくりたい。
心に寄り添うものだから、アーティストが、クラフトマンが、デザイナーが本気で、魂を注ぎ込んでつくるものではなければいけないと思っています。
そして、毎日、まるでお守りのように身に着けて欲しい。
使い倒して欲しい。
そしたら、また仕上げなおしをしましょう。
また、ほぼ新品に直しましょう。
そうやって、10年、20年…100年だって身につけられるものに、なって欲しいと願っています。
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