着飾るジュエリーや富の象徴はちょっと違う
私の仕事の始まりは普通の会社の営業職でした。
ただ、実家が昭和な商売形態の、時計屋でジュエリーも扱っていた。
それで、まあ色々あり、手伝っているうちにこんな仕事をしているわけです。
ですから正直ジュエリーなんてモノにまったく興味を持っていませんでした。むしろかなり違和感を覚えていました。
「着飾る」とか「富の象徴」としてジュエリーを所有するのであれば、ちょっとなんだか違うなと思っていました。
確かに、宝石といわれる石や金やプラチナはきれいだ。
そして、次世代につないでいける耐久性や、どこでも修理が出来る素材性は、本当にすごいと思う。
けれど「美しい」って言われても、どうもしっくり来なかった。
日本のジュエリーに生きる金工の仕事
ジュエリーというモノを見直すきっかけは、ジュエリーの中に日本の金工の仕事が生きているということを知ってから。
明治維新、廃刀令が施行され、各藩にいた優秀な刀の金工師たちは、その後輸出用の工芸品やジュエリー制作に生活の糧を求めるようになる。
その技術は卓越していて、精緻で、独特。
この時初めて、ジュエリーと自分のつながりがストンと腹に落ちた感じがしました。
だって、ジュエリーは西洋から来たモノだというなら、きっといくらつくっても真似でしかない。
私たちがつくる、売る必要も無い気がしたのです。
そして、ジュエリーには「引き継ぐ」という意味があること。
ジュエリーをつくる根っこみたいなものをどこに求めるか、それをよく考えたかったのです。
お店で毎日お客様と会ってジュエリーのことを話していると、ジュエリーというモノが、人の人生に深く深く根ざしていることがわかる。
そこに、多くの涙や、幸せや、苦しみや…そんなモノがぎゅっと凝縮されているんだ。
今はアクセサリー的なものが買いやすいから売れているけれど、もう少し覚悟を決めてつくるジュエリーが必要なんだと思っています。
それでいて、日々の生活のなかに溶け込めるもの、日々の生活に寄り添えるもの。
なぜなら、日々の生活に真実があるっていうことに、人々が気づき始めてしまったから。
今求められているモノってそういうモノじゃないんだろうか?
それがジュエリーの役割なんじゃないだろうか?
そう思いつつ、今日も仕事をしています。
コメントを残す