シャロン・クランセン講演会-NY コンテンポラリー・ジュエリーのギャラリスト

2015年9月オランダ大使館内で、開かれたニューヨークのコンテンポラリー・ジュエリーのギャラリスト、シャロン・クランセン氏のレクチャーに参加してきました。
ジュエリーの定義づけを変えるような発言があって、とても新鮮でした。
ギャラリストとは,ギャラリーを運営し、アーティストを見出し、育て、顧客との強いパイプで販売をする仕事だそうです。

シャロン・クランセン講演会 シンコーストゥディオ

通常、英語の講義はまず眠くなるか、意味不明に陥るのが普通ですが、こんなに心に響いて、しかも必死にノートをとった講義は、多分日本語でもなかったくらい、彼の言葉が、心に響いてきました。

製作する立場や仕事によって、意見は様々でしょう。
ただ、こういう動きが世界では起きつつあるということは認識しておくのは勉強になります。

シャロンは、オランダ人ではあるものの、17歳でオランダを離れてから、ほとんどオランダに戻っていないそうです。
人生紆余曲折があり、その人生観すべてが、今の彼の考えや、仕事の方向性を決めているようでした。

日本とオランダの類似点
1970年代のオランダは、今の日本と非常に似通っていて、Carvinism(カルバン主義)に制圧された国であったと言っていました。
つまり、Carvinism(カルバン主義)とは、人と同じでなければいけない。
個性的ではいけない、普通に行動し(Act normal)自分を特別と思ってはいけない。という考えで、服装なども、白いワイシャツにグレーのズボンだとか、モノトーン系のものが多かったといいます。
日本に来て、新幹線に乗り、まさにオランダの70年代だと思ったそうです。
みな、白いワイシャツに無難な色の、モノトーン系の服がほとんど、それが、Act Normal を推奨していたオランダと似ているということでした。

コンテンポラリー・ジュエリー運動

ところが、1970年代になると、世界的に個性的なファッションが流行し、ジュエリーの世界にも変化が見られてきました。
コンテンポラリージュエリーを扱うの最初のミュージアムがオランダで4件出現したそうです。

かれら、アーティストの主張はStatus symbols(富の象徴)としてのジュエリーは作らないという、姿勢でした。
これは、私も含め一般人向けジュエリー(Commercial Jewelry)とは一線を画す、画期的な考え方だったでしょう。

そして、オランダはこの時期を境に、個性への時代に突入していきます。
今、一般人向けジュエリー(Commercial Jewelry) に関しても、オランダのデザインが実に先進的なのは、この歴史からきていることを始めて知りました。

シャロン・クランセン シンコーストゥディオ

Precious(貴重な価値)の意味、Jewelryの定義

Jewelry の3大要素は、GIAの教材では

1.美しいこと
2.希少性があること 
3.耐久性があること・・・
と教わった。

しかし、その考え方が必ずしもすべてではない、ということに気づかされました。
何をもってしてPrecious(貴重な価値)があるというのか?物の価値はどこにあるのか?っを考えさせられるお話でした。

「ものの価値の定義は、みなそれぞれで、Unique(個性的)な感性を顧客に対し与えられるものが、本当のPrecious(貴重な価値)であり、本来の意味でのJewelryではないか?それは、受け取る側によって異なるけれど、いまや、石や金やプラチナに代表される物質的なものでは、もはやない。」と強調していました。

シャロン・クランセン シンコーストゥディオ

アーティストの仕事

顧客に対して、今までなかった、新しい価値を提案するのがアーティストの仕事である。
まず、顧客の顔色を伺うのではなく、自分の造りたいものを造り、社会に対して、新しい価値を提案していくべきだ。

Commercial Jewelry(コマーシャルジュエリー・般的に販売されるジュエリー)に関していえば、少々批判的では有りましたが、すべてを否定するわけではありませんでした。

しかし結局、「素材や物質的な価値に頼らない、その人その人の価値感を表すものが、本来のジュエリーのPreciousであり、人生は短いから、自分をもっと主張しよう!そして、新しい価値を社会に投げかけていくことが、アーティストの責務である。」そんな厚い情熱のメッセージでレクチャーを閉じました。

皆さんは、このジュエリーの新しい価値感、どう終われますか?
実際、先日シャロン・クランセンに認められた20人程度のアーティストの作品を見てきましたが、非常に質が高かった。

造形的に、また地金の表現などがとても新しく感じました。
そして、「個性を尊重する社会」という言葉がとても突き刺さりました。

そのためにも、私は、こういうアートとしての分野がこれからもっと社会に必要とされると感じました。

また、コマーシャル・ジュエリー、コンテンポラリージュエリー、工芸、その他の垣根を取っ払ってジュエリーを創っていくことに何か、意味があるような、そしてそういったものが社会に求められているような気がしています。

賛否両論あるとは思いますが、シンコーストゥディオはこういった垣根をとっぱらったジュエリー?製作を模索してみようと考えています。
もっと自由に、考えたいです。

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