声高ではなく、静かにつたえる力
先日のドイツのコンテンポラリー・ジュエリー・アーティスト西林佳寿子の銀座での個展、及びシンコーストゥディオでの展示をサポートして思うところ。
アーティスト、ギャラリー、ジュエラーの垣根を越えてみる-西林佳寿子個展での試み 5/7(日)~13(土) アートとしてのジュエリー 明日!5/27日(土)2:00~5:00西林佳寿子来店 私はビジネスとしてジュエリーの仕事をしています。
でもアーティストの人たちは、素晴らしい創造性を持ちつつ、やはり何か浮世離れした世界に漂っている。
資金繰りが第一の課題であるビジネス的に見ると、のんびりしていて、困っちゃうなあと思うことも多いのですが、一方で、これもありだと思うのです。
きっとこういう人たちも世の中にいないと、息苦しい世の中になってしまう。 彼らには、声高ではなく、静かに想いをつたえる力がある。
ちょっとした仕掛けが楽しい、優しい気持ちになるジュエリー
アートとしてのジュエリーには色々な仕掛けがあることも多いのです。 くすっと笑ってしまうような遊び心。 イタリアで活動する栗原章子の作品。
alchemistic stick from Akiko Kurihara on Vimeo.
今回の、西林佳寿子の作品展でも、同じ板を組み合わせた交差したブレスレットや、同じ板から全く違う造形をつくりあげたブローチなど。 こういう作品をつくり出したり、購入することは、今の社会情勢からみると対極的に小さい個人的なことであるけれども。
なんだかとても健全に思えます。
こういうジュエリーを着けていると、どんなときでも笑えるような気がします。 寛容で、心地よくて、面白い。
だいたい、人の幸福なんてものはそれほど大それたものではなく、日常の「うまくいった」の積み重ね。
アートやクラフトの世界を少し身近にしてみよう
今私たち、シンコーストゥディオが取り組もうとしているのは、こういったメタルワーク(金工・彫金)のアートやクラフトといったアーティストやクラフトマンと一緒にものづくりをし、彼らの仕事を紹介、一般の方々との距離感を縮めること。
今取り組んでいる新作のテーマは 「丁寧に日常を生きる」 アーティストや若手クリエーターの力を借りつつ、日常の生活を慈(いつく)しむことができるジュエリーをつくりはじめています。
何でもない日常を維持する難しさ
なんでもない日常というのは、あっという間に消えてなくなるということが、震災以降の多くの人が気づいてしまった。
実は大変な努力をしていないと、日々の生活は明日にでも壊れてしまう。 だからこそ、日常を大切に、慈しんでいこうという提案。
きっと、このテーマは一般的なジュエリーの概念とは相反するものと思われがちです。
しかし私たちは、表面的ではない本来のジュエリーの役割は日常にある。 だからこそジュエリーが存在している、ということを伝えていきます。
アーティストやクラフトマンが参画していくジュエリーは、非常に静かに、力強く、その想いを伝えていく力があると信じています。
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