自在に宿る日本の金工の仕事の魂
自在置物ってしっていますか?
主に江戸時代、大名たちがつくらせた、本物の生き物のと同じように動く観賞用おもちゃとでもいいますか。
主に鉄や銅、銀、銀と銅の合金である四分一などの金属を使い、自由自在に動く昆虫、魚、鳥、龍などの美術工芸品です。
2016年に東京芸大美術館で行われた「驚きの明治工芸」や三井記念美術館でここのところ隔年で行われる、明治の超絶技巧の展覧会などがあります。
「驚きの明治工芸」を見てきました。気になったもの、自在龍のシルエット、自在置物の内部、指月猿香合の指先、、猫置物の肉球、明日30日までです。 #驚きの明治工芸 pic.twitter.com/UuSUVqtcFW
— ほびっと工房 デザフェス47 5月13日 F-303 (@hobbit_nyan) October 29, 2016
自在置物の動きは、実に精密で、蜂などもお尻からちゃんと針がでたり、すべての関節が動いたりします。
《自在蛇》(明珍宗春作、江戸時代)
「自在龍置物」(明珍宗察作 江戸時代・正徳3(1713))
ジュエリーと金属工芸はつながっている
なぜ私がこの「自在」という美術工芸品に興味を持つかというと、江戸時代以降に各藩の大名達がもっと力を入れたのが、刀などの武士としての象徴である刀。
江戸時代になると、刀は実践で使うものというより、装飾的な工芸品として扱われることが多かったのではないかと想像できます。
それと同時に、どれだけ技術の粋を集めた工芸品ができるかということが、非常に大切で、刀の鍔(つば)などの装飾を細工する金工の仕事は、とても重要だったのでしょう。
そして、その技術が「自在置物」の誕生にも深く関わっているように思います。
それがなぜジュエリーと関わりを持つか?
明治になり廃刀令(1876年(明治9年))が施行されると、こういった金工たちはみな失業し、ある者はジュエリーの道へ、ある者は、外国向け金属工芸の道へ進みます。
明治初期、鹿鳴館などのパーティのためにジュエリーが必要となり、日本の職人は海外から入ってきたジュエリーを見て、見よう見まねで高度なジュエリーをつくるようになります。
自在に代表する日本の精巧な技術や、鏨(たがね)の技術は、驚くべき速さで、いやむしろ海外よりのいいジュエリーをつくるようになったのではないでしょうか。
その後天賞堂やミキモトといった宝石店が生まれるようになります。
日本には独自のジュエリー文化を築ける歴史的背景がある
そういった日本のジュエリー文化の歴史を考えたとき、「あーなんだ日本には日本のジュエリーがあるんだ」
と、西洋の真似ではない独自性や自分の根っこみたいなものを確信できたのです、
そしてま、いまジュエリーをつくっているのだと思います。
歴史は引き継ぐけれど、過去は引きずらない
江戸~明治初期の金工の仕事は、すばらしい。
そういった根っこを持ちながらも、私たちは、今の時代の人々が必要としているモノ、日々の生活に寄り添えるモノはなにかということを考えていかなければいけないと思っている。
日本の金工の技術や心意気は引継ぎ、けれど、過去だけではなく、今ちょっと「面白いね」って思えるものをつくっていきたい。
それが、きっと日々の生活に、ちょっと楽しい、うれしい、ちょっとした幸福感をもたらしてくれると思うから。
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