最近、あまりジュエリーを着けている人に街で出くわさないなと思う。
自分の仕事も、あまり要らない仕事だともちょっと思う。
日々の生活の中に、ジュエリーなんて華美なものはいらない。
ものがなくったって、私たち幸福よ!
その考え、まさにずっと自分が持っていた感覚で、このジュエリーの仕事を始めたときも、なぜ人が高額なジュエリーを買うかが理解できないでいた。
今でも、わからない部分はたくさんあるのだけれど、ものづくりに携わっていくと、ジュエリーというものが思った以上に、アナログで、恐ろしいほど人の頭や手の原始的な技量に頼っているものだということがわかって来た。
しかもそれは日本の金工の歴史に裏打ちされたものが、日本のジュエリーだということを知った。
それから、ジュエリーというものがまた格別なものに見えて来た。
それと同時に、コンテンポラリー・ジュエリー。
アートとしてのジュエリーの今の世界の潮流を知るようになってから、人の哲学までもがジュエリーなんだということを知った。
Der Showroom zur Messe #126GoldundSilber2016 mit einem Rilke-Gedicht. Weil, warum nicht? https://t.co/MOmq0kkn87 pic.twitter.com/D0wug1y72Y
— ART AUREA (@art_aurea) September 6, 2016
けれど日本には、そういうジュエリーは少ないし、つくっている側の意識もあま高くない。
クールなジュエリー・アーティストがいても、なかなか表に出て、一般の人が知ってもらえるまでに行かない。
私には、大きなことはできないけれど、少しだけ今の社会を良いほうに導いていこうとする、インテリジェンスなジュエリーを発信しないといけない。
そんなことを思う。
Ajavahe. Time Difference at the 7th Tallinn Applied Art Triennial, Estonia.Artist from 19 countries were invited to…
Klimt02さんの投稿 2017年6月23日
ジュエリーを売るということで利益を得るという目的もあるけれど、
それと同時に、自分が自分の職業を通じて今の社会に、何か問題提起してみようという気持ちもある。
ジュエリーというものを通して、軽やかに。
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