買うということの難しさ
ジュエリーなどの高級品。
特に、車や家などの必需品ではないものは、実は売るのも確かに大変なのだけれど、買うほうもかなり心構えが必要だということを教えていただいています。
それは、スマートで粋なお客様に出会うたびに思うこと。
お金があって、そのお金を出せばいいというものでもない。
どうやって買うか?
出すお金に、どうやって意味づけをするか。
実際に、本当に自分が欲しいものを手に入れるためには、実はお客様の努力もすごくて、特にオーダーなどを受ける場合それを感じます。
本当に欲しいものを手に入れるための努力
これは、作家を育てるとか、芸術家のパトロンになるという感覚と近いのかもしれないのですが、お金持ちがそのお金をいかに使っていくかは、その人の人間としての値踏みをされているようで、お金がある人も楽ではないなと、実際のところ感じます。
粋でスマートなお客様というのは、オーダーなどの欲しいものに対しては、まるで仕事のように熱心に、相当忙しい中を時間を割いて「ああつくろう、こうつくろう。」「こういうアイデアがあるんだけれど、どうだろうか?」と熱心に提案をしてきます。
おそらく、ご自分の中で優先順位を決めていて、なぜか仕事と同等に情熱を注ぐ。
それは、ある意味で自分が欲しいものを手に入れる、というのと同時に、私たち販売するもの、ものづくりをする者を育てていってやろうという気構えがあって、そのプロセス自体を楽しんでいるように思います。
しかし、そういった意識の高いお客様の要望に応えられる人間は少なく、かなりの確立で「失敗してしまった。」と思うのかも知れない。
売る側、つくる側の心構え
したがって、私たちはそれに答えられるよう、情熱をもって、あるいは出来るだけのことはして仕事に挑まなければいけない。
実に身のしまる想い。
実は私たちにとっては、1円のお客様も数千万のお客様も平等だと思っています。
だからこそ、常に緊張感がある。
粋にお金を使う方、一生懸命お金をためてジュエリーを買いに来てくださる方、そのどなたも色々な人生模様を感じて、「ああ人っておもしろいな。」と感じる一瞬です。
「ジュエリー」もう要らない。
という人に最近結構お会いしますが、それも全うなご意見。
色々、ぐちゃぐちゃ取り混ぜて、様々な人たちの悲喜こもごもが、ジュエリーを通して見えるのです。
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