必要なものとは何?

稲垣えみ子さん

昨日、久しぶりにテレビをつけると。
稲垣えみ子さんという方が、報道ステーションに出演なさっていて、アフロヘアーに少々驚きつつもお話を拝聴。
元朝日新聞編集委員だそうです。彼女は、テレビも冷蔵庫も無しで、最低限の家電製品のみで暮らしをしているという。

話題はシャープの台湾の鴻海による買収問題。

鴻海の買収により、工業国日本が弱体化するということを恐れ、官民ファンドの産業革新機構がシャープを支援する協議もされているということでした。

ちょっと庶民には商売が大きすぎて、よくわかりませんが、
その話題の中でアフロ稲垣さんは「『物を大量に作って大量に売る』つまり、大量生産・大量消費のモデルを国家戦略として保守しようとするにはもう無理があるのではないか?」というようなことを話していました。

人々は、「こんな物」も「あんな物」も実はいらないものだったと気づき始めてしまったというお話。

翻って自分の生活を考えてみると・・・・築40年以上の中古住宅で、22年以上前の車に乗り、テレビはブラウン管のまま。
ずっと仕事をして来て、買い物に行く時間が惜しく、あるいはお金が無くて、そのままになってしまったというのが実際のところだけれど、家が冬かなり寒いのを除いては充分快適かもしれない。
ですから、稲垣えみ子さんのお話は納得するものがありました。

しかし、私は宝石屋のおばちゃんなので、商売人。
人に物を売る仕事です。
ずっと、お客様にとって、どういう時に物を買うべきか、買う価値があるのか?所有する意味があるのか?と自問自答の日々を過ごして来ました。

私なりの1つの考えとしては、お金で物を買うということは、人が心を動かしたいから=「感動」したいからなのではないかと思っています。
おそらく私が携わっている「ジュエリー」というものは贅沢品で、世の中では最も不要のものと思われているでしょう。

しかし、私は反対に人間というものが太古から、憧れ、技術の粋を集めて、凄まじい労力と情熱を持って造り上げられるものだからこそ、所有して意味があるような気がしています。
ジュエリーに限らず、人が一生をかけて作っている物や新たな創造力によって造り上げられたものには魂が入っているというか、そういう気がするのです。

そうやって造り出されたものが、人を感動させたり、勇気づけたりする。
そういう価値観が、これからの必要なものと要らないものとの見極めになるような気がします。
とはいえ、私は日々の生活に寄り添う、ちょっと上質なジュエリーしか造れないのでジュエラーとしてはどうなんでしょう。
それでも、私なりに魂の入ったものづくりをしようと考えています。

私も稲垣さんのようにアフロヘアーになろうかしら?楽しそうです。

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