中学時代の国語教師

先日、中学時代の国語の教師が今は教師を辞めて、まったく関係のない民間の会社で働いているということを偶然知った。
私にとっては、いやおそらく彼に習ったことのある生徒は皆、驚いたに違いなかった。

私が、その国語の教師に出逢ったのは中学一年。
背が高く、声が低く、目が大きくぎょろっとしていて中学生にはとても怖く見えた。
黒板に書く文字は続き文字、教科書は風呂敷に包んで、夏にはそこに扇子も加わる。
「お前達は、本当に日本語の美しさがわかってねえなー。」というのが口癖で、中学生に向かって和歌だとか短歌などの難しい解説などをしたりもしていた。
私自信、全てを理解していたわけではないが、その目から入ってくるヴィジュアル的な格好良さから、日本文化・日本語って格好いいと感じていた。

彼は中国国籍であった。

生まれも育ちも日本で、親は戦前、あるいは戦中より以前に日本に移り住んでいた中国人だと想像できる。
優秀な日本の国立大学を卒業し、とびきり頭のきれる先生だった。
大人になって知ったのだが、日本の道府県公立の学校のほとんどが今も正教員として外国人を採用することを禁止しているのだ。
子供というのは既成概念などなく、中学生だった私、あるいは他の多数の生徒も、それを不自然とも特別とも考えていなかった。
教師として相当インパクトのある人間であることは確かであったが・・・
そういったインパクトがあり優秀で学生に影響を与えられるような教師が、学校をやめなければならないとは、いったいどうなってしまったのか。

今の学校は、成績が良く、いい大学を出て、平均的に勉強ができる学生が先生になる。
「個性」が大事と言いながらも、先生の個性が一番無くなって来ている気がする。
先生の個性は必ずしも必要とは思わないが、それだったら外部から様々な人を呼び入れて様々な経験が出来るようにできないものか。

今の公立中学校には、「夢」を語れる人が欲しい。
校長先生の有難い、長い話しも、もう少し楽しく夢を語ってはくれまいか。

大人のあきらめが子供に伝わってしまっていないだろうか。
中学時代の国語の教師も、私たちには雲の上の存在に思え、得たいの知れない大きさを感じていた。
背後に感じる中国という国にも、畏敬の念を持っていた。
もう少し、父兄の協力を仰いでも構わない。
いい学校を作ろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

Top