ナンセンス(意味が無い)ことが、意味があることと同じぐらい大切

ちょっと谷川俊太郎の詩を紹介したくなりました。

ふくらはぎ

俺がおととい死んだので
友だちが黒い服を着こんで集まってきた
驚いたことにおいおい泣いているあいつは
生前俺が電話にも出なかった男
まっ白なベンツに乗ってやってきた

俺はおとつい死んだのに
世界は滅びる気配もない
坊主の袈裟はきらきらと冬の陽に輝いて
隣家の小五は俺のパソコンをいたずらしてる
おや線香ってこんなにいい匂いだったのか

俺はおとつい死んだから
もう今日に何の意味もない
おかげで意味じゃないものがよく分る
もっとしつこく触っておけばよかったなあ
あのひとのふくらはぎに

『詩を贈ろうとすることは』より

この詩は、死んだ者の視線から書かれている。

自分が死んだところで、驚くほど世の中は変わらない。

そして、死んだから

何の意味の無いことが、けっこう大事だったりするんだと…分かる。

本当に、一番最後に心残りになっているのが「ふくらはぎに触っておくこと」だったなんて。

意味のないもの、意味のあるもの。

どっちも大切なんだよね。

人はやっぱり、最後は感覚で生きている。

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