ジュエリーとマイノリティ

社会的マイノリティ(少数派)と言う立場は、色々とある。

先日、熊本市議会の緒方市議の子連れ議会参加のニュースは考えさせられた。

日本はほぼ単一民族と言われているので、ついいつも自分がマジョリティ(多数派)であるような気がしてしまう。

けれど、いつの間にやら、あっという間にマイノリティになる可能性が、誰にでもあると思うのです。

たとえば、この問題のように出産して子供を持つ、高齢者になって障害者になる、その他諸々。

人が当たり前と思っていたところから、外れてみて、初めて真実が見えたりするものです。

そういうものをひっくるめて、もう少し、世の中に寛容性というか、お互いを認め合う雰囲気みたいなものを、緩やかに伝える役割をジュエリーが持つことはできないのだろうか。

そんなことを、思うのです。

世界の経済格差を考える「エシカルジュエリー」というものがあるけれど、

私は、もう少し自分の身近なところから問題を考えて、仕事に落とし込みたい。

貧困があるなら、まず日本の子供たちの貧困を考えたいし、社会的差別があるなら自分の身の回りのコミュニティから考えようと思う。

しかし、声高ではなく、ジュエリーを通して、あるいはジュリーのお店を通してなにが出来るのだろう。

今年もあと1ヶ月、来年はちょっとそんなことで動いてみよう。

小さいけれど、お店という、いつでも開いている、いつでも人が集いやすい場。

ここを最大限に生かしてみようと考えています。

 

 

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