多様性を実感するとき
8年前に、オバマ大統領が就任した際に、友人である中国系の女性が、とても興奮していたことを思い出します。
彼女は、両親とも中国系ではあるのですが、親自体も日本で育ち、横浜の中国系の学校を卒業し、父親は中華料理の世界ではそれなりに有名だった様です。そして彼女はインターナショナルスクールの出身で、アメリカの優秀な大学を卒業していました。
また、ご主人在日韓国人の3世でやはりインターナショナルスクールを出てアメリカの大学、大学院までいき国際的な会計関係の会社に勤めていました。彼女自身はすでに日本国籍を持っていましたが、上の2人のお子さんはアメリカで生まれたのでアメリカ国籍も持っています。
しかし、一般的な日本人からすると、彼らは相当少数派のマイノリティで、日本での生きづらさを感じていたのではないでしょうか?
けれども、アメリカでの生活が良かったか?というとそうでもなさそうでした。ご主人はアメリカでは韓国人として扱われるので、日本人より信用度が低く、10年近くアメリカに住みながらもなかなかグリーンカードがもらえないと言っていました。ご主人は弁護士の資格を持っていましたが、それでもかなり難しいようでした。
オバマ氏、民主主義への脅威に危機感 多様性を強調 https://t.co/XAmcPb49Jd
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2017年1月11日
マイノリティにとっては、どこの国にいっても、規格外でいつも居心地の悪さを感じながら家族や知り合いで力を合わせて生きていくというのが、一般的のようです。
ですから、オバマ大統領が「いかなる民族のアメリカもなく、ただあるのはすべての人へのアメリカ合衆国のみ。」と話していたことには希望をもったでしょう。
人はいつでもマイノリティになりうる
今、実感しているのは、人はいつでもマイノリティになり、一般的なルートからはずれる可能性があるということ。
みな、いつか死ぬのだし、いつかは障がい者になる。
お金持ちも、貧乏人も、社会的勝者と言われる人たちも。
そういうことを考えると、少数派をバカにできない。
自分の問題として、彼らの意見に耳を傾けることが大事だと感じたオバマ大統領の大統領最後の演説でした。
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