もてなすという本当の意味
昨日は友人が私の誕生日が近いということで、食事の席を用意してくれた。
いつもは、家の残りご飯やコンビニのパンなどでしのいでる私には贅沢すぎるディナーでした。
しかもシェフは海外でのシェフの経験も長く、プライベートジェットで海外のお客様が食べに来るという。
一度に2人のお客様にしか出さないので、友人と2人きりの食事をゆっくりと楽しめました。
実は、友人は今病に苦しんでいます。
その中、こういった機会を設けてくれた。
格別な想いをもって。
そして、その想いを受けて料理を用意するシェフ。
2人にたった一人のシェフですから、もちろんすごく近い距離感です。
食事に入ってからも、次の食事の塩加減や、ちょっとしたリクエストを聞いてくれます。
今日のこの時間に、最高の時間を持てるようにという配慮を、そこかしこに感じました。
決して装飾にお金がかかっている、クッキングアトリエではないのですが、世界中からお客様がやってくる意味がわかったような気がしました。
お互いを尊重しあって、キャッチボールをしながら良い時間をつくり上げていくということなのかもしれません。
人は「もの」にお金を払うのではなく、自分が共鳴した考えや、費やされた時間にお金を払う
では、私の仕事のジュエリーに置き換えたらどうなるだろうか?
実は、ジュエリーも非常に人の想いが入り込むもので、おそらく他の販売されるものより、もっと心の中の深い部分がつながっていると考えています。
世代を超えて、あるいは人がくじけそうになったときに、そばにあるのがジュエリーだと考えています。
だから、今回のディナーのおもてなしの精神と共通するものがあると思うのです。
結局人は、「もの」にお金を払うのではなく、その中で自分が共鳴できる考えやそれに費やされた時間にお金を払っているのでしょう。
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